松平健は若い頃からずっとイケメン!暴れん坊将軍からマツケンサンバまで、年齢は?

俳優

松平健さんと言えば、今は、オレー、オレー!のマツケンサンバを思い浮かべてしまいますが。

若い頃は、時代劇の貴公子!

正統派イケメンで、若い女性から、おばさままでを魅了していました。

そんな、松平健さんの若くてかっこいい頃を振り返ってみました。

松平健さんのプロフィールも交えて…。


松平健の若い頃のイケメンぶり!長瀬智也に似ている?

松平健さんが、勝新太郎さんに見いだされ、『暴れん坊将軍』で、徳川吉宗の役をしたのが1978年。

それまでの時代劇の主役にはなかった新鮮味があり、とにかく、かっこいい将軍が降臨したのです。

身分をかくして庶民の立場にいたときの、徳田新之介の役どころ。

新さんの場面では、コミカルな所もあって、演技力の幅を見せてくれましたね。

それ以外にも、NHKの大河ドラマや、舞台、テレビドラマでも、確かな演技力を見せてくれました。

若い頃の松平健さん、長瀬智也さんに似ている、と言われていますね。

目は大きいけれど、キリッとしているし、結んだ口元は一緒だな、と思えるし。

最近は、年齢的に渋みが足りないかも、ですが、俳優の水上恒司さんが、きりっとすると似ている気がします。

正統派、美男子、という感じ。

松平健さん、20代の頃は、テレビドラマで、「走れ!熱血刑事」を演じていたり。

大河、『草燃える』(1979年)では北条義時役。

30代では、TBSスペシャルドラマ『平清盛』では、平清盛役。

常に、存在感のある、時代の先駆者の役を、重厚感ある演技で演じきっています。


松平健の、暴れん坊将軍、何歳の時から?

松平健さん主演の「暴れん坊将軍」は、1978年(昭和53年)から、2002年まで、25年間続きました。

25歳から、49歳までですね。

普段は、身分を隠して旗本の三男、徳田新之介として、め組の居候。

庶民の目線でこの時代の問題点や悪ををさばく、八代将軍、徳川吉宗の役でした。

時代劇の好きな母がいつも見ていました。

勝新太郎さんからは、

『将軍をやるんだから、安いところで遊ぶ10回分をためて良いところに行って、そこに来ているお客さんを観察して勉強しろ』

と言われたそうです。

演技には、どうしても私生活が出る、というのが勝新太郎さんの持論のようです。

馬に乗るのも、殺陣なんかも、劇団にいたときに心得はあったのですんなり入っていけたのだとか。

それに、ふだんの、庶民の新之介の時には、声もやわらかな感じでしたし。

言葉遣いも違うし、二役をしているみたいで楽しかったそうですね。

でも、徳川の将軍が、江戸の町中に出て、大立ち回りをする、ということには、最初は反対意見もあったそう。

なので、江戸町民を隠れみのにすることは、あり得ない設定なのですが、そこは、お話し。

あまり知名度はなかったけど、顔がこんなにも整った存在感もある松平健さんが主役。

新鮮味があったように思いました。

「水戸黄門」の時のように、悪人の前で、身を明かす時の常套文句が色々で面白かったです。

「余の顔を見忘れたか!」

「控えぃ、○○! その御方は上様にあらせられるぞ!」

などなど。

すぐにひれ伏す悪人、しらばっくれる悪人、かまわぬ、と刃向かう悪人、などさまざま。

後味の良い時代劇でした。


松平健の、マツケンサンバはいつから?

松平健さんは、自身の舞台をやるときに、まずは「暴れん坊将軍」の時代劇。

そして、第2部として、歌謡ショーを繰り広げます。

歌手や俳優さんの舞台って、だいたいこういう設定で構成されていますね。

そして、歌謡ショーは、大体は、『和』ものでした。

お芝居、踊り、歌と演じ、フィナーレに、アップテンポのものを試しにやってみよう、と。

そもそものアイデアを、松平健さんが出し、踊りは、日本舞踊の先生に振り付けてもらっていました。

反応は、とっても評判が良かったのです!

松平健さんの舞台が、アメリカ公演をやるようになって、だんだんと洋風のエッセンスが取り入れられます。

テレビでは、2001年の大晦日に初披露します。

そこから、じりじりと2年ほどかけて話題になり、2004年「マツケンサンバⅡ」で大ブレイクしました!

ゴールドの着流しで、キンキラの中、軽やかに歌い踊る松平健さん。

腰元ダンサーズもうしろで踊っているのがいいですね。

松平健さんは、また違った魅力を世に出してくれましたね。

この曲のヒットで、松平健さんは、フルネームより、「マツケン」と呼ばれる方が多くなっていますよね。

『オレオレはマツケンサンバだけでいい』という、サラリーマン川柳もあるとか(笑)


松平健の年齢・本名・身長・出身・血液型・学歴

松平健さんの

年齢:1953年(昭和28年)11月28日生まれ 70歳

本名:鈴木 末七(すずき)すえしち)…時代劇に出てきそうな本名ですね!

身長:179㎝

イケメンで、背がこれだけあって、しっかりした体つきですし、何を演じても様になります!

出身:愛知県豊橋市

血液型:B型

学歴:愛知県立豊橋工科高校中退

兄弟:7人兄弟の末っ子

七人兄弟の末っ子なので、末七、と名付けられたのでしょうね…!

芸名由来:1972年(昭和47年)に、テレビドラマでデビュー。

その時の監督、浅野正雄さんが命名します。

当時、バレーボールがオリンピックで優勝して一躍有名になった、松平監督の名字と、高倉から取ったそうです。

松平、という名字は、江戸時代の大名の名字で、何だかキリッとする姓ですね!

特技:殺陣

趣味:ドライブ、ウォーキング


松平健の生い立ち、勝新太郎に見い出された!

松平健さんは、7人兄姉の末っ子に生まれ育ちました。

お父さんは、腕のいい大工でしたが、酒癖が悪く、仕事もあまりしなかったと言います。

それで、お母さんが仕事に出たり、内職をしたりして死に物狂いで父の代わりに稼いできました。

松平健さんは、そんな母を見て育ちました。

高校に上がっても、母を助けたい一心で中退し、名古屋の寿司屋に住み込みで働きに出るのです。

そんな母思いの松平健さんに転機が訪れます。

石原裕次郎の映画『太平洋ひとりぼっち』を見て、俳優を志すのです。

家族は皆反対しましたが、母だけは応援し、出してくれました。

直談判で、石原プロに入ることを試みますが、ダメでした。

こんなにイケメンなのに・・・。

『ウルトラマンタロウ』のオーディションにも応募しましたが、落ちています。

その後、勝新太郎のプロダクションに入り、1075年、『座頭市物語』でデビュー。

最初は付き人をやっていたのですね。

勝新太郎さんは、人目見て、気に入ったのでしょうね。

初めて主役をした、『人間の條件』の後、仕事が来なくて悩んでいた時にも。

勝新太郎さんは、主役しか、仕事を受けるな、と!

給料は出すから、勉強をしていろ、と言うのです。

母を助けたい、稼ぎたい松平健さんは、何の役でもするつもりでいたのですが。

松平健さんは、勝新太郎さんの言いつけを守っていました。

勝新太郎さんの妻の、中村玉緒さんは、そんな松平健さんのことを、「耐えしんぼう将軍」と語るのです。


 

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