シンガーソングライターであり、作曲家として、多くのアーティストたちに曲を提供もしている斉藤和義さん。
あの、独特の雰囲気を持った斉藤和義さんの奥さんは、どんな人なのかな。
興味津々!
また、斉藤和義さんの実家はおもちゃの町、岐阜県壬生町だそうです。
他にも、同じ生まれの有名人がいるようですね。
また、斉藤和義さんの、年齢やウィキ的な情報も知りたいですね。
名曲、「歌うたいのバラッド」や、「ずっと好きだった」なども調べてみました。
斉藤和義の奥さんは誰?どんな人?
斉藤和義さんは、1995年に、一般人の、加茂佳子さんという方と結婚されました。
一般人の方ですし、名前や詳しい事は、明らかにされていませんでした。
でも、2010年に、スポーツ報知で、斉藤和義さんの奥さんは、ライターであることが判明していたのです。
主に、ボクシング記事を書いていてる方です。
そして、斉藤和義さんが、リリースした、シングルや、アルバムの歌詞カードに、スペシャルサンクスとして、「加茂佳子」とクレジットされていました。
それが、2012年にリリースした、「月光」という曲から、「斉藤佳子」に変わっていて、この方が奥さんなのだろう、と言われてきました。
スペシャルサンクスに、奥さんの名前を入れる、という斉藤和義さんは、ステキだな、と思いますね。
こうして、アルバムを作れたのも、あなたたちのおかげです、ありがとう、的な意味合いで関わった人たちの名前を入れるんですものね。
斉藤和義さんより、奥さんは1歳年上なのだそうです。
職業は、フリーライター、ボクシング関係の記事を書いていること。
そして、長身で、髪の長い美しい方です。
斉藤和義さんは、ボクシング好きで、自宅には、サンドバッグがあるくらい、とのこと。
それに、無類の猫好き。
斉藤和義さんと、奥さんは、とある雑誌の取材先で知り合った、と言われています。
そこで、ボクシングの話、猫の話で意気投合した模様。
1995年に、結婚され、2010年に長男「虎太郎」さんが生まれます。
斉藤和義さんが43歳、奥さんが44歳の時で、高齢出産ですね。
斉藤和義さんは、公式ホームページに、
自分が父親だなんて、まだ不思議な気持ちですが、楽しんで育てて行きたいと思います。も
う下ネタは封印です。よろちくび。
という、斉藤和義さんらしい(笑)報告をされていました。
男の子だけれど、案外甘いお父さんなのでは、と思っています。
斉藤和義の実家は、おもちゃの町、岐阜県壬生町
斉藤和義さんの出身地は、岐阜県下都賀郡壬生町(みぶまち)で、日本国内のおもちゃメーカーが集まっている地域です。
「おもちゃの町」と呼ばれてきています。
近くには、東武鉄道の、「おもちゃの町」駅があります。
おもちゃ工場が並ぶ、工業団地で、工業団地のモデルケース、と当時の教科書にも載っていた町。
斉藤和義さんのお父さんは、タカラトミーに勤めておられて、タカラトミーの社宅に住んでいたのだそう。
斉藤和義さん家には、タカラのおもちゃがたくさんあったかもしれませんね!
また、この町の出身者は、他に、元AKB48の大島優子さんがいるんですね。
斉藤和義さんの実家とかなり近所だったのだそう。
大島優子さんによると、出身小学校も中学校も同じだ、と。
2012年に、同じ歌謡番組に出演したときに、知ったのだそうです。
こんな可愛い子がうちの地元から出るなんて、ビックリした、と言っていました。
その壬生町も、おもちゃ工場は少なくなり、コストコや、カインズができていて、今も違った意味で賑やかになっているのでしょうね。
斉藤和義の年齢、身長、血液型、学歴、家族、人柄
斉藤和義さんの
年齢:1966年(昭和41年)6月22日生まれ 57歳
身長:181㎝ 細身で長身ですね!
血液型:O型 いかにもO型っぽいです! あのゆるーい雰囲気が大好きです。
学歴:壬生町立南犬飼中学、作新学院高校、山梨学院大学2年で中退
家族:父親、母親、姉、妹
家族女3人とも、皆美人。母と、妹はモデルをやっていたことがある。
人柄:おっとりしているのは、姉、妹の間で育ったから、と言われている。
ライブでは、下ネタが多い(笑)
愛称:せっちゃん
若い頃の斉藤和義さんは、俳優の清水尋也さんに結構似てるなー、と。
斉藤和義の名曲、「歌うたいのバラッド」、「ずっと好きだった」など
斉藤和義さんのデビュー曲は、「僕の見たビートルズはTVの中」。(1993年)
1992年に放送されていたTBSのオーディション番組『星期六我家的電視・三宅裕司の天下御免ね!』に出演し、その翌年にデビューします。
デビュー当時のキャッチフレーズは、「四畳半では狭すぎる」です。
背が181㎝あるからでしょうか(笑)
わかりやすくて、面白いキャッチフレーズですよね。
1994年、「君の顔が好きだ」で関西圏の知名度が上昇。
きれい事じゃない素直な気持ちを潔く歌っているのがあっぱれで可愛くさえありますね。
同じ年、フジテレビ系の「ポンキッキーズ」での「歩いて帰ろう」で、一躍知名度が上がる。
ちょうど、安室奈美恵さん、鈴木蘭々さんが出ている頃、ですね。
この曲はよく聞いていて、ずっと耳に残っていました。
誰が歌っているんだろう、と思いつつ、調べもせず、で。
斉藤和義さんの曲だったと知ったのは、最近でした。
1997年、「歌うたいのバラッド」。オリコンチャートは91位だが、歌詞の良さ、雰囲気のしっとりさにロングランの曲になっている。カバーするアーティストも多い。
2008年には、「やぁ 無情」は、レコード大賞優秀作品賞を受賞!
2010年には、「ずっと好きだった」をリリース。資生堂の『IN&ON』のCMに。
♪ずっと好きだったんだぜ!♪のくだり、かっこよすぎです!
2011年、ドラマ「家政婦のミタ」の主題歌に「やさしくなりたい」。
毎週聞いていて、この曲も大好きでした。
2012年に、デビュー20年目で、紅白歌合戦に出場! 感想を聞かれて、「今年はガキ使を見れないな、頑張ります」、と答えています。
思わず笑っちゃいますね。
斉藤和義さんらしい発言です!
斉藤和義の歌、作家の伊坂幸太郎の人生を変える
斉藤和義さんの名曲は、まだまだたくさんありますが、同じアーティストの中にも、ファンがいますね。
2009年に亡くなった忌野清志郎さん、桑田佳祐さん、ゆず、奥田民生さん、桜井和寿さん、トータス松本さん、スガシカオさん、吉井和哉さん・・・。
こんな大物アーティストたちとのつながりもあるからこそ、ずっと斉藤和義さんの人気が衰えることがないのでしょうね。
そして、特筆すべきは、小説家の伊坂幸太郎さんです。
会社勤めをしながら小説を書いていた、伊坂幸太郎さんですが。
通勤途中に聞いた、斉藤和義さんの「幸福な朝食 退屈な夕食」で、執筆活動に専念するため、退職されたのです。
がーーん‼、と来たのでしょうか。
それとも、静かに決心がついたのでしょうか。
何度も何度も聞いたのでしょう。
言葉を読み上げる曲。
かっこよすぎます。
その後、伊坂幸太郎さんが書いた「アイネクライネ」に、斉藤和義さんが、「ベリーベリーストロング~アイネクライネ~」で、コラボを果たします。
その後にも、伊坂幸太郎さんの小説『フィッシュストーリー』が映画化された折にも、劇中のパンクバンドとして、「FISH STORY」を提供。エンディングに、「Summer Days」。
そして、2010年に公開された映画『ゴールデン・スランバー』でも、斉藤和義さんが、音楽を担当。
斉藤和義さんは、大半の曲は自分ですべての楽器を演奏し、多重録音しています。
その器用さ、本質を突くような歌詞、そして、ちょっと鼻にかかった声質、のほほんとしたポーカーフェイスなど、すべてが斉藤和義さんの魅力ですね。
それに、良い芸術に触れるということは、時には人の人生をも変える力を持っている、ということの証明みたいな話です。
斉藤和義のドラマ主題歌、提供曲は?
「ウェディングソング」2007年、ゼクシィのCM。
「愛に来て」2007年、UHA味覚糖CM。
「おつかれさまの国」「やぁ無情」2008年、武田薬品工業のアリナミンのCM。
「やさしくなりたい」・・・ドラマ「家政婦のミタ」の主題歌
「ずっと好きだった」・・・資生堂の『IN&ON』
「パズル」、関ジャニ∞3rdアルバム「PUZZLE」に収録
「らくだの国」「晴れ女」・・・パフィー(PUFFY)
「罪滅星」・・・藤井フミヤ
「虹が消えるまで」・・・小泉今日子
「僕の半分」・・・SMAP
「純愛」・・・鈴木雅之
「Player」・・・夏木マリ
「Mystery Train feat.斉藤和義」「はないちもんめ feat.斉藤和義&Char」・・・南佳孝
ほんの一部ですが、数々のCM曲や提供曲を作ってきたのですね。
去る、2003年には、十二指腸潰瘍になって、2ヶ月の静養をした、斉藤和義さんですが、デビュー30周年の2023年も精力的にライブで各地を回っています。
なかなかハードなツアーですが、体をこわさないで、すてきな歌をファンに聞かせてもらいたいです!
コメント