菊池桃子、病気の娘に寄り添い現在は再婚相手と幸せに!ラ・ムー時代、年齢、本名は

女性シンガー

菊池桃子さんは、80年代にたくさんの女性アイドルが出てきた時に、トップアイドルだった人!

でも、あまりギラギラしたところがなく、話し方や、歌声もフワッとやわらかくて、可愛さが増していました。

菊池桃子さんが、プロゴルファーと結婚したのは知っていました。

しかし、子供さんのこと、離婚、そして再婚していたことは知りませんでした。

当時のことを振り返りながら、菊池桃子さんのことを追っていきたいと思います。


菊池桃子の娘の病気って?今は何歳?

菊池桃子さんは、1996年に長男を出産、2001年に長女を出産しました。

娘さんは、赤ちゃんの時(7ヶ月)に、脳梗塞を起こすのです。

そして、脳にキズがついて左の手足にマヒが残ってしまいました。

実は、息子さんと娘さんの間に、生涯を持つ可能性がある子を死産していたのです。

この時、

「子供が病気を持ったならば、お母さんとして闘おうと考えた時期があった」

と告白。

なので、娘さんの病気の時にも、泣いている場合じゃない、しっかりサポートしていこう、と決意したのだと。

有名人としては、この事実を公表するかどうか、ためらうところですが…。

菊池桃子さんは、かくすことは娘に失礼じゃないか、と思ったのです。

そうして、2015年、フジテレビの『ノンストップ』で公表します。

娘さんは、幼稚園に通う頃には、普通に歩けるようになっていたのです。

でも、やはり、他の子との差を見るにつけ、菊池桃子さん自身が具合が悪くなることも…。

就学時に、相談に乗ってもらえる所も自治体には少なかったと言います。

それがきっかけで、障害を持つ人や心に病を抱える人たちの雇用など、学ぼう、と大学院に。

子供さんの事とは言え、常にまっすぐに真摯に向き合い、そして学ぼうとする気持ち!

素晴らしいですね。

2021年に、インスタグラムで、娘さんの七五三の時の写真を載せています。

整った顔立ち、可愛い子ですね!


菊池桃子、再婚はいつ?

菊池桃子さんは、後で書いていますが、27歳から44歳まで、西川哲さんと結婚していました。

離婚してから7年半、2019年に、再婚を発表します。

お相手は、経済産業省 経済産業政策局長の、新原浩朗(にいはらひろあき)氏です。

何だか政府のお偉いさんですね。

東京大学出の64歳、初婚です!

というのも、菊池桃子さんは、大学院卒業後、「一億総活躍国民会議」に民間議員として参加していました。

2015年から2016年にかけてのことです。

そこで、次長を務めていたのが、新原浩朗さんなのです。

数年間、一緒に仕事をしてきて、話が合うなー、と思っていたのが、だんだんと友達みたいに話せる人に。

そのうち、食事に行ったりするようになっるのですが、既婚の人と二人で、となるとややこしくなるのですが。

新原浩朗さんは、独身だったので、気にせず交際できたのだとか。

そのうち、人と一緒にいると、人生が豊かになるなー、と思っていたら…。

相手も同じように思っていたのだそうです!

でも、結婚してからは、ずっと別居生活なのです。

そのわけは、政治部の記者などが自宅に取材に来ることがよくあって、穏やかな生活が送れないから、とのこと。

新原浩朗さんが、都内の一人暮らしのマンションと菊池桃子さんの住まいを行き来しているのですね。

4年経っても、仲良しで、菊池桃子、snsで、時々のろけていますね。

穏やかで、楽しい日々、良かったですね!


菊池桃子、元旦那は西川哲でプロゴルファーだった!離婚の原因は?

菊池桃子さんは、1993年に『フジサンケイクラシック』で、一緒にラウンドしたプロゴルファーの西川哲さんと交際します。

そして、1994年には婚約、1995年に挙式を控えていました。

しかし、西川哲さんと父親との確執があり、無期限延期などを申し渡されるのです。

その理由は、西川哲さんがプロゴルファーとして、成績も芳しくなく、世間知らず、未熟、という父の意見。

父親は、菊池桃子さんのことを気に入っていたのですが…。

このことで、西川哲さんの父親に直訴に行ったのですが、哲さんに改善が見られない、と拒否されます。

それが原因で、菊池桃子さんは、十二指腸潰瘍穿孔になり、コップ一杯くらい吐血し、緊急入院するのです。

このことで、お父さんも二人の結婚を許可します。

そして、西川哲さんも一念発起!

1995年に3度目の優勝をします。

そうして、1995年5月に、結婚。

翌年には、高輪プリンスホテルで青木功氏の媒酌で、披露宴をしました。

披露宴の時点で、菊池桃子さんは妊娠4ヶ月、息子さんと娘さんに恵まれるのですが…。


菊池桃子、西川哲の離婚の真相は?

菊池桃子さんと西川哲さんは、2012年1月に離婚を発表しました。

親権は菊池桃子さんです。

子供さんたちは、16歳と11歳。

17年間の間に、何があったのでしょうか。

明確な理由を公表はしなかったのですが、プロゴルファーは家を空けることが多い職業です。

しかし、そのうち、西川哲さんが、別宅を持つようになったこと。

菊池桃子さんの所属事務所は、噂を聞きつけ、菊池桃子さんには内緒で、不倫調査をしていたのです。

真相はわかりませんが、本人は、否定したようです。

また、西川哲さんは、プロゴルファーとしての獲得賞金は最初の頃は良かったのです。

しかし、だんだんと落ちていって、ティーチングプロになります。

また、父親が馬主で、ここから競走馬ファンド株式会社を経営するのですが…。

そのうち、多額の借金を抱えることに。

それにしても、夫婦が別居状態になるのは、やはり、元に戻るのは難しいのですね。


菊池桃子、超アイドル時代、ラ・ムー時代の衣装

菊池桃子さんは、1982年(14歳)の時に、伯母の飲食店に飾っていた写真を介して、スカウトされます。

1984年の映画『パンツの穴』でヒロインを演じ、また同じ年に、歌手デビューもします。

典型的な清潔感あふれる、清純派のアイドルとして、レコード、ブロマイドの売り上げ1位に‼

アイドル雑誌のイメージガールからの人気で、歌にも進出する先駆者になります。

1985年(17歳)には、武道館でコンサートを行なって、来日した時のビートルズの観客動員数を抜いたことにはびっくり!

とにかく、トップアイドル、という言葉にふさわしい存在でした。

ふっくらした丸顔で、人に緊張感を与えない親近感のある、フワッとした不思議なアイドルでした。

そして、1988年には、ロックバンドの「ラ・ムー」を結成。

菊池桃子さんがボーカル。

そして、ブラックコンテンポラリー、と呼ばれるソウルな黒人2人のコーラスとでの7人編成でした。

この「ラ・ムー」では、菊池桃子さんは、アイドル路線ではなく、歌詞もそれまでよりは過激になります。

『少年は天使を殺す』は売れましたが、菊池桃子さんのアイドル味を脱することはできなかった感じがします。

1989年には、売れ行きも下火になっていましたし、女優業に専念するということで、解散になります。

イメージチェンジはうまくいかなかったのですね。


菊池桃子の年齢・本名・出身・学歴・身長・血液型

菊池桃子さんの

年齢:1968年(昭和43年)5月4日生まれ 55歳

本名:西川桃子

出身:東京都品川区

学歴:日出女子学園高校、戸板女子短期大学卒、

法政大学大学院政策創造研究科政策創造専攻修士課程修了。

40歳の時に、学び直しを考え、雇用政策を学んだ、菊池桃子さん。

2012年8月からは、母校の戸板女子短期大学の客員教授に!

手足のマヒが残った娘さんの人生を守りたい、との気持ちが学ぶ動機だったと言います。

大学院に行って良かったことは、人見知りをしない自分に気付けたこと。

そして、仕事をする時にも、いいことが。

自分の記憶や経験だけでなく、社会の動きなども考えつようになり、話題や視野が広がったようです。

40歳から学ぶ、というのは、割となかなか実行に移せるようで、難しいと思います。

菊池桃子さんの行動力やまっすぐな意志、素晴らしいと思います!

身長:160㎝

血液型:B型


 

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