笠置シヅ子と淡谷のり子との関係は、仲良しだった?「わろてんか」でも描かれていた、弟は戦死?

俳優

朝ドラの「ブギウギ」、東京が舞台になってからも、面白いですね。

淡谷のり子さんをモデルにした、菊池凛子さん演じる、茨田りつ子が登場して、ドキドキします。

ライバルと言われた、淡谷のり子さんとの関係は、女同士でもあり、どうだったのでしょうか。

また、笠置シヅ子さんは、2017年の朝ドラ「わろてんか」の時にも描かれていましたね。

そして、弟は、その後どうなったのでしょうか。


笠置シヅ子と淡谷のり子の関係はライバルだった?

笠置シヅ子さんは、淡谷のり子さんより、7歳年下です。

淡谷のり子さんが「別れのブルース」を100万枚の大ヒットさせて、一気にスターになったのが1937年(昭和12年)。

そして、笠置シヅ子さんが「ブギの女王」と呼ばれるきっかけになった「東京ブギウギ」を発表したのが1947年(昭和22年)。

10年ありますね。

そして、戦前と戦後。

世間の様相もまったく違う中ですよね。

笠置シヅ子さんが有名になった10年も前から、淡谷のり子さんは、「ブルースの女王」として、君臨していたのですね。

実際、笠置シヅ子さんは、淡谷のり子さんに憧れを持っていたようです。

しかし、直立不動で切々と歌うスタイルの淡谷のり子さんは、舞台狭し、とスイングしながら歌う笠置シヅ子さんのことを好ましくは思ってないのでした。

まったく歌唱スタイルが違うし、笠置シヅ子さんの歌は、戦後の日本を元気づけるには最高のパフォーマンスだったので、カルチャーショックもあったでしょう。

まずは、下品だと。

朝ドラでは、お芋さんみたいな顔、みたいに意地悪っぽく言っていましたね(笑)

淡谷のり子さんが、笠置シヅ子さんをライバル視していたのか。

私はそこまで思ってなかったのかも知れない、と思うのです。

もともと、淡谷のり子さんは、クラシック音楽を徹底的に学んで、オペラ歌手を目指していた人。

しかし、クラシック歌手だけでは生計が立てられないので、流行歌なども歌っていたのでした。

なので、ライバル、というには、土俵が違う、と考えていたかも知れません。


笠置シヅ子と淡谷のり子の関係は、仲良しだった?

でも、お互いに、服部良一に師事していた共通点、そして、お互いに娘を持つシングルマザー、という共通点があるのですね。

7歳の年の差はあっても、ある程度の年齢になると、娘を持ち育てる母親同士の共感があったかも知れません。

実際、お互いの家を行き来していた、とか、笠置シヅ子さんの娘さんに、「お母さんには感謝しなさいよ」みたいな事を言っていたとか。

一人娘を、こよなく愛し、仕事をしながらも、大事に育てていたことをよく知っていたのかも知れませんね。

それに、服部良一の計らいで、戦時中、二人の合同公演を行なった、という記述があります。

一緒に出演する、というのは、淡谷のり子さんも、笠置シヅ子さんの存在感を認めていた、とも言えますね。



笠置シヅ子は朝ドラ「わろてんか」でも描かれていた!

2023年後期の朝ドラ「ブギウギ」で、笠置シヅ子さんの半生が描かれています。

その6年前、2017年下半期の朝ドラ「わろてんか」では、吉本興業の創業者の「吉本せい」が主人公。

藤岡てん(吉本せい)を、葵わかな、北村藤吉(夫〕を、松坂桃李が演じましたね。

まだ、記憶に新しいです。

旅芸人だった藤吉と出会い、大反対されて、父に勘当されても結婚して、できた子供隼也を、のちに成田凌が演じます。

藤吉は、2度目の脳卒中のときに、亡くなりましたね。

一人息子の隼也は、跡継ぎとして、鍛えられますが、アメリカ留学をしていた経験を活かしたい、と思うことで、母や首脳陣と意見が分かれます。

その後、隼也は、加納つばきという女性と知り合い、恋心が芽生えますが、彼女は大手銀行頭取の娘でした。

隼也は、政略結婚を決められていた彼女と、駆け落ちします。

主人公てんは、隼也に勘当を申し渡し、後に、子供に男の子ができて幸せに暮らしていることを、人づてに聞くのでした。

このときの、加納つばき、という女性が、笠置シヅ子さんのことなんですが。

実は、歌手ではなく、銀行頭取のお嬢様だった、又生まれた子どもが男の子だった、など、史実とは違っていますね。

これは、「吉本せい」の生涯が中心ですし、モデルにした、お話なので仕方ないことです。

この「わろてんか」では、若くして亡くなった、松坂桃李演じる、藤吉がしばしば幽霊となって、主人公の妻の元に現れましたね。

朝ドラでは、よく亡くなった人が、幽霊姿で登場するのは、面白いです。

今回、「ブギウギ」では、鈴子が結婚する吉本せいの息子役を、誰が演じるのでしょうか。

そして、早くに亡くなってしまうであろう旦那さんは、幽霊になって出てくるでしょうか(笑)


笠置シヅ子の弟(亀井八郎)は、戦死したの?兄もいた?

笠置シヅ子さんが生まれたとき、実の母親(谷口鳴尾)が母乳が出なく、同じ頃に出産した亀井うめ(養母)にもらい乳をしていました。

谷口鳴尾さんは、結婚を認められずに出産をして、子供の父親(三谷陳平)は亡くなっていました。

なので、育てていくことも難しい状況だったので、亀井うめさんに預けたのです。(笠置シヅ子、生後6ヶ月頃)

同じ時期に亀井うめさんに生まれていたのは、男の子だったので、双子として、その後愛情いっぱいに育てられました。

しかし、その養母、亀井うめさんの実子の男の子(正雄)は3歳くらいで病気で亡くなっています。

それに、亀井家には、兄(頼一)もいたようですが、やはり病気で亡くなっている、とのことです。

笠置シヅ子さんは、しばらくの間、自身が養女であることを知らずに育ち、親からではなく、実の親の親戚筋から知らされます。(17歳の頃)

養子先には弟「八郎」(2歳年下)がいて、兄弟として育ちましたが、笠置シヅ子さんが上京してからは、父親と床屋を開業していた、という情報があります。

ドラマでは、「六郎」ですね。

それまでの、銭湯は廃業したのですね。

朝ドラで描かれているように、何でも言い合える仲の良い姉弟だったようです。

戦地に赴くときに、生きて戻れるか、わからない。

家のことは頼む、と言い残したのだそう。

そして、1941年、ベトナムで戦死した、との知らせが入ります。

八郎さん、25歳の時です。

ここの書いている時点で、もう泣きそうです。

あまりの悲しみに、笠置シヅ子さんと、父の音吉さんは茫然自失になります。

そんな、悲嘆に暮れる笠置シヅ子さんに、服部良一先生は、「大空の弟」という軍歌を作って提供します。

笠置シヅ子さんは、服部良一先生の目指すジャズを歌っていましたが、戦時中は「敵性音楽」と目の敵にされましたが、この歌は、唯一の軍歌なのです。



笠置シヅ子のプロフィール

笠置シヅ子さんは、

1914年(大正3年)8月25日生まれ~1985年(昭和60年)3月30日 71歳まで

本名、亀井静子

出身は、香川県大川郡相生村(現在の東かがわ市)

小学校を卒業後に、宝塚音楽歌劇学校を受験。

歌と踊りは合格ラインに申し分なかったが、身長が低い(150㎝)ことと、かなりの痩せ型体型だったことで、不合格。

同じ年に、「松竹楽劇部養成所」(OSKの前身)に合格。

このときの芸名は「三笠静子」。

そののち改名、「笠置シズ子」と名乗る。

それから、松竹歌劇団(OSK)に入り、服部良一さんと出会ってからは、組んでジャズを歌ったりしていました。

映画の主演もやったりしましたが、戦争で、歌手などの活動の場は狭くなる一方。

それでも、慰問などに精を出し、歌う事を続けます。

 

今回は、朝ドラでも描かれている、淡谷のり子さんとの関係や、「わろてんか」でも扱われていたこと、弟さんのことについて調べてみました。


 

笠置シヅ子さんのこちらの情報も↓

 

笠置シヅ子、娘がいる?死因は?美空ひばりとの確執とは?朝ドラで東京ブギウギ!
笠置シヅ子さんは、大正の初期、戦前に生まれ、さまざまな苦労をし、戦後は「ブギの女王」と呼ばれました。 とにかく明るい、いつも笑顔の人、キレキレに踊っていた、という記憶しかありませんが・・・。 その、笠置シ...

 

笠置シヅ子、エノケン(榎本健一)との出会い、ブギの女王から女優へ!鶴瓶は隠し子?
NHKの朝ドラ「ブギウギ」で描かれている笠置シヅ子さんの人生。 喜劇王、エノケンとの出会い、歌手だった笠置シヅ子さんが「ブギの女王」と呼ばれるまで。 そして女優に転身すること、興味津々です。 その辺のところを、見てみました...

 

笠置シヅ子さんの夫の情報はこちら↓

 

笠置シヅ子、夫の吉本穎右(えいすけ)との出会い・夫の死因、結婚を反対されていた?
NHKの朝ドラ、「ブギウギ」は戦前の話からですが、面白くて、次が気になりますね。 やはり、笠置シヅ子さんが愛する人と出会って恋に落ちるところが早く見たいところです。 夫になる人は、吉本穎右(よしもとえいすけ)。 夫の母親に...

コメント

タイトルとURLをコピーしました