70年代、「スター誕生!」からデビューした、森昌子・山口百恵・桜田淳子の「花の中3トリオ」が人気絶頂の時。
同じような年齢の3人とは、当時は一線を引かれていたような石川さゆりさんでした。
でも、その後何年経ってもすたれないヒット曲を出し、数々の受賞歴が!
今でも、押しも押されもしないトップ歌手の石川さゆりさんの結婚話や、娘さんのことを調べてみました。
石川さゆりの結婚相手はマネージャー、離婚理由は?その後再婚したの?
石川さゆりさんは、元夫と離婚してからは独身で、再婚はしていません。
1981年、石川さゆりさんが23歳の時に、ホリプロで当時マネージャーをしていた馬場憲治さんと結婚します。
夫の年齢は石川さゆりさんの7つ上です。
なれそめは、タレントとマネージャーなので、一緒にいる時間も長く、意識するようになったのでしょうね。
4年間の「禁断の恋」の後、馬場憲治さんはホリプロを退社。
マネージャーは、担当している人との恋愛はご法度だったのです。
その後、「アクション・カメラ術」という著書が売れて、結婚するメドが立ったのです。
カメラの知識があったことが良かったですね。
石川さゆりさんは、好きだったから、プロポーズを受けた、と言っています。
そうして、1984年には、長女の佐保里さんが誕生します。
しかし、1989年には離婚。
離婚理由として考えられるのは、まずは嫁姑問題と言われています。
又、結婚後は義両親だけでなく、兄弟を含めた4家族、総勢14人の大家族との同居生活も。
姑には、料理の味付けに文句を言われたり…。
また、仕事でもツアーなどの宿泊を伴うものは認められなかったこと。
それに、一度も実家に帰らせてもらえなかったこと。
これはつらいですね。
姑だけではなく、他の家族とも、うまくやっていくのには、神経がすり減ったことでしょうね。
心落ち着く実家にも帰れなかったのは、孤独で寂しかったことでしょう。
そんなこともあって、娘の親権も取って、別れることになります。
石川さゆりの子供は娘で、過去に病気していた?孫はいる?
石川さゆりさんの娘さんは、沙保里さんと言い、1984年生まれ、39歳。
2019年には、石川さゆりさんのお母さんと娘さんと、女3人暮らし、と言っていました。
その後も、結婚した、というニュースもないので、独身なのでは、と思われます。
なので、石川さゆりには、今のところ、孫さんはいないであろう、と思われます。
沙保里さんが生まれた年には、「石川さゆりの愛・結婚・出産 うちの沙保里姫」という本を夫妻で出版していました。
とても可愛がっている様子がうかがえます。
また、そんな沙保里さんには、病気、という噂がありますね。
これは、沙保里さんがかつてイギリスに留学していた時のこと。
人種差別的な待遇をされたことがあったそうで、やはりかなりショッキングなことだったのでしょう。
これが原因なのかどうか、確たる証拠はないのですが、対人恐怖症になった、とのことです。
石川さゆりさんは、娘の対人恐怖症は落ち着いてきている、と発言したことがあるようです。
おばあ様や、母の石川さゆりさんと一緒に住んで心穏やかになっていることでしょうね。
石川さゆりの代表曲は「津軽海峡冬景色」「天城越え」「能登半島」
「花の中3トリオ」と呼ばれた、森昌子・山口百恵・桜田淳子の3人。
同じ頃にデビューし、同じ年頃なのに、ヒット曲にも恵まれず、人気の方も、遅れていました。
ずいぶんと劣等感やいらだちがあったことでしょう。
しかし、その気持ちを奮い立たせて、民謡や日本舞踊を習って、歌も学び直しました。
そして、1076年、「365日恋もよう」というアルバムをリリースします。
恋をした少女が傷つきながら成長する姿を描くというコンセプト
で、1月、2月・・・と各地の地名を入れた曲で、12月の曲が「津軽海峡冬景色」でした。
この曲を、シングルカットして歌番組などで歌ったのが大ヒットに繋がります!
でも、この時、石川さゆりさんは、何と!18歳‼
18歳の娘さんがあのような情感たっぷりで、迫力のある歌い方をしたことが、石川さゆりさんの覚悟を感じますね。
紅白歌合戦でも何度も歌われたこの曲の歌碑が、青森港にあるのです。
そして、もうひとつ、2番の歌詞に出てくる「竜飛岬」のある青森の外ヶ浜町にもあるのです。
しかも、ボタンを押すと、2番の歌詞しか流れない、のだそうです。
また、「天城越え」も、紅白歌合戦で何度も歌われていますが、リリースしたのは、1986年。
石川さゆりさん、28歳の時です。
すごい迫力で、最後の”あまぎーごーえー♪”のところ。
その余韻での、女のすさまじい情念、とでも言うものを現わした顔つきが、いつも見物です!
石川さゆりの年齢・本名・出身・身長・血液型・学歴・経歴
石川さゆりさんの
年齢:1958年(昭和43年)1月30日生まれ 66歳
本名:石川 絹代(いしかわ きぬよ)
出身:熊本県飽託郡飽田村(今の熊本市南区)
身長:155㎝
血液型:A型
学歴:堀越高校卒
経歴:小学1年の頃、テレビで見た島倉千代子さんの歌に刺激を受け、歌手への夢を持ちます。
中3の時に、「ちびっ子歌謡大会」に参加したことで、ホリプロにスカウトされます。
1973年3月25日、「かくれんぼ」でデビュー。
アイドルとしてデビューしましたが、振るわず、演歌歌手に転向します。
その後はヒット曲も出て活躍します。
1980年の後半頃、事業家として、「カミパレス」というカラオケボックスの運営を知人と始めます。
後に会社は破産し、連帯保証人としての石川さゆりさんに銀行から提訴され、最終的に10億円の賠償金支払いとなります。
事業家として、多大なお金の苦労もあったのですね。
石川さゆり、紅白出場は何回?受賞歴は?
石川さゆりさんの紅白歌合戦への出場回数は、2023年で、何と46回‼
1984年からは、40年間連続で出場しています。
トリで歌ったのは、9回、大トリ(赤白含めてのラスト)は1回経験しています。
そして、曲は、「津軽海峡冬景色」と「天城越え」を毎年交互に歌っているのです。
これは、NHKからの強い希望(視聴者代表として?)だそうなんです。
この2曲を歌ってもらうのが日本人の年越しなんです、と言われたそうで。
でも、石川さゆりさんとしては、今でも新曲も出しているのに…と胸中複雑な気持ちのようですね。
また、受賞歴ですが。
「津軽海峡冬景色」(1976年)…レコード大賞歌唱賞、FNS歌謡祭大賞・最優秀歌唱賞・最優秀視聴者賞
「波止場しぐれ」(1085年)…レコード大賞最優秀歌唱賞
「天城越え」(1986年)…レコード大賞金賞
「夫婦善哉」(1987年)…レコード大賞金賞
「風の盆恋歌」(1989年)…レコード大賞最優秀歌唱賞
2015年、レコード大賞 日本作曲家協会奨励賞
2018年、芸術選奨文化科学大臣賞
2019年、紫綬褒章
こんなにたくさんの、輝く賞を頂いています。
素晴らしい、何者にも代えがたい宝ですね!
いくつになっても歌声の衰えない、石川さゆりさん、これからも活躍してください!
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