KAN(カン)はがんの闘病中だった!奥さん、子供、人柄は?「愛は勝つ」はレコード大賞に

昭和歌手

KANさんと言えば、1991年に、レコード大賞を受賞した「愛は勝つ」の人。

2023年3月18日に、公式サイトで「メッケル憩室がん」であることを公表しましたね。

活動を休止して、治療に専念する、と語っていたKANさんですが、11月12日、帰らぬ人になってしまいました。

奥さん、子供さんはどんなにか気を落とされていることでしょう。

改めて、KANさんのプロフィール情報も踏まえて、多くのアーティストにリスペクトされていた人柄など振り返ってみたいと思います。


KANはメッケル憩室がんで闘病していた!

KANさんは、今年3月18日に、公式サイトで、「メッケル憩室がん」を公表していました。

前年、秋から腹痛が続いていて、病院に行って、さまざまな検査をした結果、とのこと。

演奏活動などは、予定していたものも中止とし、ラジオ番組だけは継続していく、と語っていました。

「皆さまに楽観していただけることが、きっと大きなエネルギーになる、そんな気がしています。この件をサラッと洒落にしながら演奏する日を常にイメージします。」

とコメントしています。

「メッケル憩室がん」とは、聞き慣れない病気ですが、小腸にできることがある袋状の突起物のことを「メッケル憩室」と呼ぶのですね。

この部分のがんで、非常にまれながんの種類のようです。

日本でも、数10例くらいしかなかったのだそうです。

この憩室が、生まれつきあるのは、0.6~2%で、男性に多いそう。

そして、この部分のがんは、基本、無症状なこと、気づかないうちに、進行してしまうことが、こわいところです。

なので、KANさんは、腹痛を感じてから、半年近くなってからの受診だったので、腸閉塞を起こしていたのでは?という意見もあります。

ずいぶんと進行するまで体の重大さがわからない、というのは、不運ですね。

6週間の入院をした後、退院し、入退院を繰り返していたのだそう。

KANさんの最後の仕事は北道STVラジオで、「KANのロックボンソワ」で、10月7日深夜、978回目の放送分でした。

いつも、ユーモアたっぷりで、優しい語り口のKANさんの声がもう聞けなくなるなんて・・・本当に残念なことです。


KANの奥さんは、バイオリニストの早稲田桜子、子供は?

KANさんは、1999年、8歳年下のバイオリニストの早稲田桜子(わせださくらこ)さんと結婚。

4歳からバイオリンを始めて、大学は、東京芸大音楽学部を経て、アメリカのバークリー音楽院に留学経験もあり。

KANさんとの出会いは、1997年のKANさんのコンサート「Decimo」で、バイオリンの演奏者として参加したことが始まりです。

とってもきれいで聡明そうな女性ですね!

KANさん、一目ぼれしたのではないのかな。

この共演で交際に発展し、1999年に結婚したのです。

そして、子供さんはいないようですね。

今は閉鎖されているようですが、早稲田桜子さんのブログには、流産していたことが書かれていたのです。

このことが原因なのか、わかりませんが。

そして、KANさんは、この美しい奥さんと、今年闘病中に、KANさんの大好きなフランスを訪れていました。

入退院を繰り返しながらの闘病をおして、10月にXで訪仏している、と報告。

KANさんは、フランス人になりたい、と言うほどのフランス好きで、パリに音楽留学もしています。

2002年~2年間で、奥さんの早稲田桜子さんも一緒でした。

無理をおしてでも、二人の思い出の国へ、最後になってしまったけれど行けたことは、本当に良かったと思います。


KANの本名、出身、身長、生年月日、血液型、学歴、家族

KANさんの

本名木村 和(きむら かん)

「和」と書いて、「かん」と読む。

父、木村満(毎日放送の番組プロデューサー、音楽家)が名付ける。

世の中の人に平和を与える、という行動を実践する

という意味が込められているのだそうです。

出身:福岡県福岡市

身長:164㎝ ピアノの弾き語りしか記憶にないので、意外に、あまり背が高くないことはわからなかったですね。

生年月日:1962年(昭和37年)9月24日  2023年11月12日、61歳でご逝去

血液型:AB型

学歴:福岡県立城南高校卒、法政大学社会学部卒(音楽優先であまり行けず、途中留年する)

家族:両親、兄の4人家族で育つ。

父は、学校の校歌の作曲、博多どんたくの音楽アレンジなどのアルバイトもしていた音楽家です。

母親の情報は、見つかりませんでしたが、2歳上の兄、「策(さく)」さんは、福岡で、高校の教師です。

音楽家であるお父さんの影響で、小さい頃から、音楽は身近だったのでしょうね。

幼稚園児の頃、ピアノを習い始め、特にお母さんは、音大へ行くことを期待されていた、とか。

期待や愛情をたっぷり注がれて育ってきたことがわかりますね。


KANの人柄、性格は?

KANさんは、見るからに、人柄の良さがにじみ出ていますよね。

ラジオなどの語り口も、優しくて、ユーモラスで、周りの人を和ませる人なんだろうなー、と感じます。

たくさんのアーティストたちにリスペクトされています。

ミスチルの桜井和寿さん、スピッツの草野マサムネさん、aikoさん、広瀬香美さん、平井堅さん、スキマスイッチ、杉山清貴・・・etc.

「心酔している」とか、「JーPOPの父」などと言われていたりもします。

しかし、それだけの人物なのに、とても謙虚な人でもあるんです。

あるとき、スポーツ誌のインタビューがあって、事務所のスタッフに、

「『自分の音楽がほかのアーティストに影響を与えている』というような表現は本人が嫌がるので避けてください」

と最初に言われたそう。

ほかにも、追悼の意を公表するアーティストが続々、です。

こんなに、第一線のアーティストたちに愛されていたKANさん。

亡くなって明らかになることが、本当の姿だったのですね。


KANの代表曲「愛は勝つ」はレコード大賞を受賞

KANさんは、1987年(昭和62年)にデビューしましたが、数年はヒット曲もありませんでした。

1990年(平成3年)に、5枚目のアルバムに収録された「愛は勝つ」がクイズ番組のエンディングに使われたのですが、あまり話題にならず。

それでも、翌年の1991年に、山田邦子さんの「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」で三期目のエンディングに使われて、ここで大ヒット!

当時、山田邦子さんは人気があり、この頃は絶頂期!

視聴率も良く、20%を越えていました。

山田邦子さんの番組で採用されたことも大きいような気がします。

もちろん、この曲が、シンプルで、素直で、明るさがあって絶対、と言っていいほどの売れるべき要素を持っていたからではありますが。

累計、200万枚を超える売り上げで、この年のレコード大賞を受賞!

そして、紅白歌合戦に初出場します。(モーツァルト風のヘアスタイル、衣装姿で)

でも、KANさんは「愛は勝つ」が大ヒットしたことで、一発屋的に言われたりすることもあるようですが、他にも素敵な曲があります。

三ツ矢サイダーのCMに使われた「まゆみ」。

言えずのI LOVE YOU」「健全 安全 好青年」・・・etc.

 

結婚指輪をしていなかったことで、離婚した?と言われたこともありましたが、奥さんとは、最後まで仲良く幸せだったのですね。

良かった。

まだ、61歳、心残りもたくさんあったでしょうけれど、ご冥福を心よりお祈りします。


 

 

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