NHKの朝ドラ「ブギウギ」で描かれている笠置シヅ子さんの人生。
喜劇王、エノケンとの出会い、歌手だった笠置シヅ子さんが「ブギの女王」と呼ばれるまで。
そして女優に転身すること、興味津々です。
その辺のところを、見てみました。
笠置シヅ子、エノケン(榎本健一)との出会い
終戦後、笠置シヅ子さんは、日劇(日本劇場)再開の第1回目、「ハイライト」に特別出演します。
日劇は、戦災にもあわず、GHQに取られもせずに済んだおかげで戦後のエンタメ界で活躍します。
服部良一先生は、1945年12月に、何とか上海から帰国。
そして、1946年(昭和21年)にエノケン劇団の正月公演での「踊る竜宮城」で舞台音楽を依頼されます。
一方、笠置シヅ子さんは、エノケンさんとは、松竹学劇団にいた頃、ラジオで「音楽は嬉し」で共演していたのでした。
そして、1946年3月に、有楽座で「舞台は回る」で、共演。
「エノケン」とは、榎本健一(えのもとけんいち)。
1919年~1970年代まで活躍した俳優であり、コメディアン、歌手でもありました。
当時の日本では、喜劇王でした。
笠置シヅ子さんとエノケンさんは、有楽座の舞台をいつも満席にするくらいの人気ぶり。
その後、「びっくりしゃっくり時代」「歌うエノケン捕物帖」「エノケン・笠置のお染久松」など、映画でもコンビを組むように。
エノケンさんは、歌手である笠置シヅ子さんには、
「君は歌手だから芝居はよくわからないだろうけども、君の芝居はツボがはずれている。しかしそれがまた面白い効果を出しているので改める必要はない。僕は君がどんなにツボをはずしても、どこからでも、はずしたまま突っ込んで来い」
といい放ちます。
笠置シヅ子さんにとって、歌の先生は、服部良一。
そして、演技の先生はエノケンさんだったのですね。
笠置シヅ子、「東京ブギウギ」の大ヒット
エノケンさんとの時代からさかのぼりますが・・・。
笠置シヅ子さんは、愛する吉本穎右(えいすけ)さんを亡くし、一人娘のヱイ子を育てながら歌を歌い続けます。
そんな笠置シヅ子さんを励ましたい気持ちもあり、戦後の日本に生きる力になるような、という意味もあり、曲が誕生します。
やはり、「ブギウギ」がいい!ということになり、「東京ブギ」が誕生するのです。
のちに、「東京ブギウギ」と題名が変わります。
大勢のアメリカ兵に見学される中でも、ものおじせずにレコーディング。
これが、大阪、梅田劇場を皮切りに、全国的に大、大ヒット‼
服部良一先生の指導で、舞台のすべてを使って、踊り、歌う、というパフォーマンスも圧巻だったのです。
笠置シヅ子さんのパンチの効いた声とブギが一体化したのでしょうね。
このあとも、「大阪ブギウギ」「名古屋ブギウギ」「ホームランブギ」「ほろよいブギ」など、ブギの曲が続きます。
特に、「買い物ブギ」は最高に面白い!
「わてほんまによういわんわ」「おっさん、おっさん」など、笠置シヅ子さんのふだんつぶやいている言葉を歌詞に盛り込んでいますね。
そうして、いつしか、「ブギの女王」と呼ばれるように!
笠置シヅ子さんの公演は、いつもとんでもない客の動員数でした。
また、当時の「ミスタータイガース」と呼ばれた、藤村富美男や、作家の三島由紀夫までもが、笠置シヅ子ファンを自称していました。
笠置シヅ子、歌手から女優へ!
エノケンとの共演で、喜劇女優として自身を活かし、ブギの女王としても、歌い続けてきた笠置シヅ子さん。
しかし、時は過ぎ、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみなど、実力もあり、人気も出てきた女性歌手が台頭。
笠置シヅ子さんにとって、元気のいい、ブギ以外の歌に発展がなかったこともあり、マンネリになってもいました。
そして、自分の歌手としての限界を感じ、1956年(昭和31年)の紅白歌合戦でトリを務めます。
そして、これを最後に、歌手を廃業、これからは女優でやっていく、と宣言します。
これには、服部良一先生に相談もなく、宣言して、ずいぶん怒らせてしまったようです。
のちに、歌手をやめた理由を聞かれたときに、「太ってきたから」と答えているようです。
年齢的なものもあるかも知れませんが。
太ると、今までのような舞台狭し、と踊りながら歌うのは無理がある、と思ったのでしょう。
そして、女優の頃のようなギャラでは、どこも使ってもらえないから、と「ギャラ下げ」をお願いして回ったとか。
まだまだこれからも、一人娘を育てていかないといけないし、生きていく知恵なんでしょう。
変なプライドなどなかったと言えますね。
笠置シヅ子、鶴瓶は隠し子?
笑福亭鶴瓶さん。
垂れ目で、眉も垂れているところ、似ていますね。
笑福亭鶴瓶さんが、わざわざメガネをはずして、自分の母は、笠置シヅ子です、と自己紹介していたのです。
そして、「突然ガバチョ」というバラエティ番組で、割烹着を着て、笠置シヅ子さんを演じてコントをしていたそうで。
それに対して、一人娘しかいない笠置シヅ子さんでしたが、その発言に乗ったようです。
鶴瓶は、ウチの隠し子やねん、と。
余裕ですね。
お互いに、その親子ネタを楽しんでいるようでもあったみたい。
しかし、実際面識はなかったそうです。
一度、共演してほしかったです!
笠置シヅ子、プロフィール
笠置シヅ子さんは、1914年(大正3年)8月25日生まれ~1985年(昭和60年)3月30日没
70歳で亡くなっていたのですね。
乳がんを発症後、卵巣がんになり、最期の言葉は「日劇時代は楽しかったね」でした。
出身は、香川県大川郡相生村(今の東かがわ市)
本名、亀井静子
身長、150㎝
小学校を卒業後、宝塚音楽歌劇学校を受験するも、不合格。
同じ年に、松竹少女歌劇団の合格し入団。
ここでは、「三笠静子」を芸名にしていました。
(朝ドラ「ブギウギ」では、福来スズ子ですね。)
それから、歌手時代は、「笠置シズ子」と名乗っていました。
その後、歌手を廃業して、女優に専念すると決めてからは、「笠置シヅ子」と変えています。
朝ドラも、後半になってきました。
すごい人気です!
趣里さんの演技、歌も光っていますね。
今後、笠置シヅ子さんがどう描かれるのか、楽しみです‼
笠置シヅ子さんのほかの情報はこちら↓
コメント