1980年代、「う、ふ、ふ、ふ、」で存在感を現わした、EPO。
背がすらっと高くて、お洒落な歌と、出で立ち。
EPOは、誰と結婚したのでしょう?
そして、「EPO」という、当時の私たちにとって、風変わりに思えた名前の由来は?
ひょうきん族のテーマ曲も歌っていましたね!
EPO(エポ)の夫は誰?出会いや職業は?
EPOさんの夫は、「宮川雅彦」さんという人です。
2008年12月、EPOさんが48歳の時に結婚されました。
EPOさんと、同い年です。
俳優であり、催眠療法セラピストでもある人。
宮川さんが、幅広い、舞台や、演劇活動の中で知り合ったお二人。
EPOさんは、1987年9月にイギリスに移住され、そこで、色々なものを吸収されたのでしょうか。
ヒーリング、精神世界、などに傾倒し、催眠療法セラピストとして、カウンセリングなどの活動もされています。
そして、宮川さんも、セラピストです。
セラピスト、というのは、専門知識を取得して、人の心身を、癒やしたり、時に、治療したりする職業ですね。
自身がまず、穏やかに自分をヒーリングでき、人をも癒やせる力量を持っているということ。
これは、たいへんなのでしょうが、力強い宝を持っているようなものですね。
EPO(エポ)の年齢、本名、身長は? 名前の由来は?
EPOさんの生年月日が、1960年(昭和35年)5月12日なので、64歳ですね。
本名は、「宮川 榮子」。
結婚前は、「佐藤 栄子」さんでした。
80年代に、EPOさんを初めて見たとき、背が高くて、すらっとしている、と思ったものです。
やはり知りたい人も多いみたいですね。
身長は、168㎝です!
EPOさんは、東京女子体育大に進学し、体育の教師になるはずだったようです。
でも、方向転換したため、中退されています。
思い切った方向転換をできる人は、次のステージで、なにかしら、うまく行く力を持っているのでしょうね。
「エポ」というのは、子供の頃のあだ名から来ているようです。
誰かが、本名の「えーこちゃん」と呼ぼうとした時。
舌がもつれたのか、「えーぽちゃん」と言ってしまったのがきっかけ、とのこと。
当時は、お互いに顔を見合わせて、笑い合ったのでしょうね。
でも、えーぽちゃん、が気に入ったから、自称になったのでしょう。
EPO(エポ)の親は毒親だったの?
2019年の「婦人公論」に掲載されていました。
特に、母親が、「境界性パーソナリティ障害」だったようで、幼少の頃から、虐待を受けていたとのこと。
父親との不仲、娘への支配欲などで、お仕置きと称して、「熱い」や「痛い」という目に遭わされるのです。
してないこともした、というまで、続けられたのだそうです。
胸が痛くなります。
父親はやさしくかわいがってくれるところもありましたが。
母親の言い分だけを聞いて、加担してくる事もあり、理不尽なことばかり。
子供にとっては、逃げ場のない、本当に、つらい日々だったのでしょう。
やっと、一人住まいを始めても、支配は続くのです。
ある日、ドアを開けると、包丁を持った母親が立っていて、命の危険をも感じたのだそうです。
そして、そのことも、父親は母親の言うことを信じるのです。
娘が母親を殺そうとした、と言ったことで、EPOさんも急性ストレス障害に。
お母さん、ひどい!、というより、かなり、おかしい!
その後、EPOさんはカウンセリングを受け、わかり合えることのない母娘関係を終わらせます。
自分を守るために絶縁宣言をしたのです。
よく、行動しましたね。
EPOさんが、セラピストやヒーリング、相談活動をしているのは、このことが発端だったのですね。
2017年にお母さんは亡くなられますが、涙もでなかった、と。
その後、夫の宮川さんに出会い、いやなことは、いや!と言えるようになることを、やさしく諭されます。
義両親もあたたかい人たちで、人生初めて、家庭の温かさを経験できたのだそう。
ご結婚が遅めだな、と思ったのも、そんな背景があったからなのですね。
同じような毒親を持つ人たちを、助けたい、とカウンセリングなどもされているのですね。
これは、そんな、普通でありふれた幸せを経験できたからこそなのでしょう。
共感してくれるカウンセラーほど、ありがたいものはないでしょう。
EPO(エポ)はひょうきん族のエンディングテーマ曲を作った?
まずは、「DOWN TOWN」です。
当時は、「オレたちひょうきん族」は、明石家さんまさんや、ビートたけしさん、お笑いの売れっ子
たちが出演。
面白く、視聴率が高い番組だったので、この曲はすぐになじみになりました。
ただ、色々なコーナーで、大笑いした後。
何か都会的な、おしゃれな曲がエンディングで流れるのは、へんな感じが最初はしましたね。
この「DOWN TOWN」は、元々、山下達郎さん率いる「シュガー・ベイブ」のヒット曲でした。
EPOさんは、この曲が大好きだったので、山下達郎さんに直々にお願いして1st.シングルとして歌った曲です。
山下達郎さんは、快諾してくれた、とのこと。
うれしかったことでしょうね。
そして、EPOさんは、タケちゃんマンの歌、「THE TAKECHAN マン」の作曲をしています。
後のエンディングテーマ「土曜の夜はパラダイス」も作詞作曲しています。
ちなみに、EPOさん自身、ひょうきん族のコーナーに出たことがあった(当時は全然気がつきませんでした)そうです。
ご本人は、場違い感があったのでしょうか。
精神的に苦痛だった、と。又、「黒歴史」だとも。
どんなコーナーだったのでしょうか・・・。
EPO(エポ)の、代表曲、デビュー曲、CMソングは?
EPOさんのデビュー曲は、前述した、「DOWN TOWN」。
すぐには売れなかったようですが、1年くらい後になって、テレビ業界の人の耳にとまります。
そして、「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマに採用されたのです。
わからないものですね。
やはり、歌声の良さ、センスを感じてのことだと思います。
何より、大好きな歌だったのですものね。
その後、(1983年)、CMソングの話が舞い込みます。
「う、ふ、ふ、ふ、」が資生堂の春のキャンペーンでテレビに流れ始め、シングルチャート7位に‼
ああ、この曲!、とすぐにわかる曲ですよね。
軽快で、楽しそうな歌なので、後々、キリンビール、江崎グリコ、ダイハツ・ミラカスタム、花王ロリエ、マクドナルド、など。
たくさんのCMに流れています。
80年代中頃、EPOさんは、大貫妙子さん、竹内まりやさんと並んで「RCA(レーベル名)三人娘」と称されるようになります。
また、
JーPOP黎明期の、代表的なアーティストの一人
とも言われている人です。
長きに渡って、辛い時期を超えてこられて、今は幸せに過ごしているのは、救いになりますね。
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