竹内まりやさんと言えば、年齢の関係なく、誰もが知っている歌手ですね。
最近、病気の噂があるようで・・・。
本当でしょうか。
そして、竹内まりやさんの実家は、出雲の老舗旅館ですね。
経営が傾きかけた頃もあったようです。
その経緯や、再建には、涙ぐましい働きかけがあったのです。
また、数々のヒット曲もあげてみました。
竹内まりやにガン、白血病の噂があるの?病気なの?
竹内まりやさんに、最近、ガンとか、白血病だとかの病気の噂があるのです・・・。
しかし、実際は、そういう事実は、まず、なさそうです。
夫、山下達郎さんは、2023年も全国ツアーで飛び回っています。
しかし、竹内まりやさんは、以前から、コンサートや、ライブなど、多くはないですね。
CDの発売、というニュースはあっても、ステージや、テレビで見る機会はめっきりないですね。
それに、竹内まりやさんは、自身のレコーディングや、コンサートの実施するときは・・・。
夫であり、プロデューサーである山下達郎さんの協力なしには考えられないのです。
竹内まりやさんは、夫、山下達郎さんの活動の邪魔にはならないように、と考える人なのですね。
それで、ふだんは曲など、書きためているようです。
そうして、頃良いチャンスをうかがっている、というようなことを聞いたことがあります。
それと、もうひとつ。
ガンと戦っている、とか、家族が、白血病になった人のブログに、よく、竹内まりやさんの名前があがっているのです。
心がまいったとき、疲れたとき、辛いとき。
竹内まりやさんの歌に、勇気づけられる、などとブログで語っておられるのですね。
私も、パソコンで、そういうページを見た時に、え?、と。
竹内まりやさん、ガンなの?って思ったことがあったのです。
病気で沈んでしまった心を、竹内まりやさんの、温かい歌詞や、歌声が癒やしになっている。
そういうことなのですね!
竹内まりやの実家は出雲の老舗旅館!
これも、ファンの人はよく知っておられますね。
竹内まりやさんのご実家は、老舗旅館です。
出雲大社の二の鳥居の近くにある、「竹野屋旅館」です。
明治時代に開業して、140年にもなるのです。
皇族が利用されることもあったという、とても格式の高い旅館です。
また、沢田研二さんと、田中裕子さんが結婚式を行ったことでも話題になりました。
竹内まりやさんの父親の、4代目、竹内繁蔵さんの代までは、経営は順調だったのです。
しかし、後継の長男になってから、だんだんと経営が傾いてくるのです。
平成不況も原因のひとつ。
それに、長兄は、頭を下げることができない、とか、経営や、接客業のことを全く分からない人だとか、言われています。
ついに、従業員が5人にまで減って、宿泊が不可能に。
竹内まりやさんは、この事態はマメに聞いていて、心を痛めていました。
そして、ついに、オーナーを申し出るのです。
リニューアル工事の費用はほとんど、竹内まりやさんが出しました。
本格的に再建に乗り出したのです。
そして、今では、もうすっかり、部屋も改装され、料理も厨房でできるようになりました。
もはや、竹内まりやさんが直接関与しなくてもいい体制になったようです。
竹内まりやさんが、私たちの目に触れるところに出てこなくなったこと。
その背景には、こういうこともあったのですね。
自分の実家の再建、とは言え、出雲大社周辺も活性化されました。
そして、何より、格式の高さまでをも、守った功績は大きいですよね。
竹内まりやの年齢、身長、本名、出身は?
竹内まりやさんの
生年月日:1955年(昭和30年)3月20日 69歳です。
身長:169㎝、体重も探したら、ありました。58kg。
背があって、スタイル抜群ですね。
本名:山下 まりや(出生名は、竹内まりや)
アーティスト名として、「竹内マリヤ」、「MAKO」「Miyabi」。
出身:島根県簸川郡(ひかわぐん)大社町(今の出雲市大社町)
父親:大社町の町長を務めていたこともあります。
兄弟:2男4女の4番目、3女です。
6人兄弟だったのですね。
高校:島根県立大社高等学校卒業。
その時代には、1年間のアメリカ留学経験もしています。
大学:1973年に慶應義塾大学文学部へ。
大学へ入ってからは、キーボードやコーラスでいくつかのバンドで、活動していました。
1979年には、「SEPTEMBER」の大ヒット。
この年、第21回日本レコード大賞の新人賞を受賞。
1980年代のなってからは、「不思議なピーチパイ」が大ヒット。
アイドル的な扱いに、疑問や不満を持ちながらも、なんとかこなしていたそうです。
本当に、可愛い女性でしたね。
でも、いざ歌い始めると、アルトボイスに不思議な魅力がありましたね。
竹内まりやの「元気を出して」「いのちの歌」「人生の扉」などのヒット曲
竹内まりやさんの代表曲、と言っても何からあげて良いのやら、ですね。
発表すると、必ずヒットする、という息の長ーいアーティストです。
一番は、女の子の心を代弁してくれる、寄り添ってくれる温かさ。
「SEPTEMBER」(1979年) [不思議なピーチパイ」(1980年)
「けんかをやめて」(1982年)河合奈保子に提供
「元気を出して」 (1984年) 薬師丸ひろ子に提供
「色・ホワイトブレンド」(1986年)中山美穂に提供 「駅」(1987年)
「シングルアゲイン」(1989年) 「告白」(1990年)「マンハッタンキス」(1992年)
「純愛ラプソディー」(1994年)「Majiでkoiする5秒前」(1997年)広末涼子に提供
「カムフラージュ」(1998年) 「人生の扉」(2007年)
「いのちの歌」(2012年) ・・・・・
どの曲も、何回もリピートしたくなり、そして、一緒に歌いたくなるものばかり!
竹内まりやさんや、山下達郎さん、大瀧詠一さん、サザン、etc. 同じ時代のこの人たちの放ったもの。
年代、時代を問わず、歌われ続けられる作品を生み出してくれたこと、同じ時代にいること、に感謝、感謝です‼
竹内まりやさんの夫の山下達郎さんの記事はこちらから↓
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