ヒップホップと言うと、何を思い浮かべるか・・・。
あまりよく知らなくて・・・。
自分は、以前、ブレイクダンスを見た時に、これがヒップホップ系なんだ、と解釈していました。
日本にヒップホップが広がり始めたとき、1980年代でしょうか。
そしてまた、ラップというのも、小林克也という人が、それらしい事をやっていた記憶があります。
日本でのヒップホップ、というと、アメリカのそれとは少し違って、その「ラップ」のことを言うようですね。
そういう黎明期に現れて、日本のカルチャーの一つとして浸透させた第一人者、カリスマというのが、Zeebraと言われていますね。
Zeebraという人は、どんな経緯で、ヒップホップの第一人者になったのか、またどんな人なのか、知りたいな、と思いました。
それに、娘さんが、今人気のNiziUのメンバーの一人でめちゃくちゃ可愛い子。
嫁さんのことも調べてみよう!
Zeebra(ジブラ)は何が凄いの?①
調べて見るに、ジブラさんは、色んな面で凄いことがわかりました。
ジブラさんが3歳の時、両親が離婚して、父親はアメリカに渡ったそうです。
その後、母親はシングルマザーでたいへん、と思いきや、再婚されて、義父は建築家の坂倉竹之助。
義父の父親は有名な建築家、坂倉準三。この人、建築家として、本当に凄い方です!
母方の祖父は、実業家、ホテルニュージャパンの社長、横井英樹。
まぁ、これらは、ジブラさんの家族の人たちの職業などが凄い人たち、ということですが。
そして、ジブラさん本人についてですが、1993年に結成したヒップホップユニット、「キングギドラ」の「空からの力」を聞いてみました。
ちょっと、レゲエっぽさも感じるこの作品。
日本語のラップなんだけれど、違和感なし、変な力は入ってないけれど、挑戦的で、自分を誇示するような感じ。
そして、代表曲と言われる、「Street Dream」はかなりドスの効いたフロー(歌い回し)、強気満々なリリック(歌詞)。
「胸張れ!」「不可能を可能にした日本人」などなど、自分の揺るぎない自信を前面に押し出しているところ、かっこよすぎです!
日本語でのラップに市民権を与えた人っていうのが分かる気がします。
Zeebra(ジブラ)は何が凄いの?②
それに、ジブラさんの活動も多岐にわたっています。
①「GRAND MASTER」という音楽レーベルを設立。
ヒップホップの新世代のレベルアップのために作ったものです。
EGO、2WIN、T-Pablow、TZERR、SHOGUNなどが所属。
後続する人を、育てる、という使命を感じているのですね。
②クラブとクラブカルチャーを守る会
風営法改正ロビー活動をきっかけに誕生した、ジャンルの垣根を越えた幅広いDJ/アーティストが集まる団体
の会長を2021年から務めています。
「長」になるところ、ジブラさんらしいですね。
③渋谷区観光協会「渋谷区観光大使ナイトアンバサダー」の就任。
2016年に就任。
この年、「ナイトメイヤー世界サミット」(於:オランダ・アムステルダム)にも招かれました。
④また、「WREP」という24時間ヒップッホップ専門のラジオ局を開局します。(2017年)
長年、構想していたことを実現したのですね。
⑤また、「フリースタイルダンジョン」という、即興のライブバトルを繰り広げる、テレビ朝日のバラエティ番組の制作などに携わりました。
これは、2015年から2020年まで放送されていました。
これは私も見ていましたが、格闘技ではないのだけれど、ラップでの格闘技みたいなもので、聞いていて、力が入りすぎ、こちらが先に疲れていました。
ちょっと辛かったです。
ジブラさんは、自分の信じた道でてっぺんを取ったり、日本語のラップを広めただけではなく、これの浸透や、レベルアップのための活動を惜しみなくしているところ。
これこそが、凄い!と言われるところだ、という気がします。
Zeebra(ジブラ)の娘は、NiziUのRIMA!嫁は?
ジブラさんには娘さんが2人います。
長女が「花音(カノン)」さん。
そして、次女が「里茉(リマ)」さんです。
この、リマさんが、NiziUのメンバーの、RIMAさんですね。
しかも、ジブラさんには息子さんも2人いるのです。
まずは、ジブラさんの結婚歴から。
初婚は1990年、一般の女性。
その後、離婚しますが、息子2人を引き取っています。
長男は「健人」。
2013年に就職し、今は結婚して子どももいるので、ジブラさんは49歳で孫ができたのです!
次男が「錬」。
この次男さんが、ハウス系のDJをしていて、「DJ Ren Yokoi」を名乗っていて、売れっ子のようです。
父、ジブラさんはうれしいことでしょうね。
ハウスミュージックとは、音楽ジャンルのことのようです。
その後、「Can Cam」の専属モデルをしていた、中林 美和さんと知り合い、2002年に結婚。
息子2人を育てながら仕事をする父親のむさ苦しい事務所や自宅を訪れて、私が支えなきゃ、と思ったそうです。
そして、2人のかわいい娘ができます。
父、ジブラさんの音楽の素質、そして母、美和さんの美貌をもらったリマさんです。
しかしながら、2020年11月に離婚。
その理由になったのは、ジブラさんの2度の浮気が原因のようです。
でも、これが引き金になる前にも色々と積もり積もったものがあったのかもしれません。
ジブラさんは確かに、モテるのでしょうが、やっぱり、ダメ! 不倫は!
Zeebra(ジブラ)の若い頃って?経歴は?
ジブラさんは、17歳のとき、本場のヒップホップを見てみたい、とニューヨークに渡ります。
そして、いっぱいの衝撃を受け、プロミュージシャンを目指します。
1993年までは、渋谷や六本木でDJとして働いていました。
1993年に、Kダブシャイン、DJ OASISと「キングギドラ」を結成。
1995年「空からのオアシス」でメジャーデビュー。
1996年活動停止。
1997年「真っ昼間」でソロデビュー。(この曲もgood!)
2002年「キングギドラ」を再始動。
北野武監督との縁で、映画に出演したり、安室奈美恵、長渕剛とのコラボ、イメージソング、テレビドラマに出演など、様々な活躍をしてきました。
ハイチでの地震や、東日本大震災などの時、ジブラさんの出来うる支援を実施。
若い頃は、色んな髪型をしていて、かっこよかったですね。
Zeebra(ジブラ)の英語力
ジブラさんの英語力がすごい、と言われていますね。
ジブラさんは、高校を中退したとき、もうすでにヒップッホップに沼っていて、本場のヒップッホップを見てみたい、と17歳でニューヨークへ飛びます。
この時点で、どれだけ英語がしゃべれて、理解できていたのかは、知りませんが。
まだ頭も柔らかい年頃、そして絶対的な目標があったのですから、たぶん瞬く間に英語力はあがったことでしょう。
Zeebra(ジブラ)の本名、年齢、身長、血液型、学歴、祖父は
ジブラさんの
本名:横井 英之(よこい ひでゆき)
年齢:1971年(昭和46年)4月2日生まれ 53歳 渋さが出ていて、すてきな50歳代です!
身長:178㎝ もっとありそうに見えます。
血液型:B型 wikiにも載っていなかったのですが、X(旧ツイッター)で、質問に答えていました。
学歴:結構裕福な家に育ってか、慶應義塾幼稚舎、慶応内部進学で中学時は、慶應義塾普通部へ。
その頃けっこう、やんちゃが過ぎて、中退。
その後、「セント・メリーズ・インターナショナルスクール」(超名門)へ編入。
でも、3日でやめる。校風が合わなかったでしょうね。
そしてその後、区立の中学へ。
高校は、豊田区の、文化学院高等専修学校の高等部へ。
この頃からヒップホップにはまったこともあり、遅刻などが多く、1年2学期で中退。
義父や義父方の親戚、母方の祖父などの恵まれた環境であったのですが、本人は、結局学校の路線に乗れなかったのですね。
というのも、母方の祖父、実業家の横井英樹、という人は、当時、ホテルニュージャパンの社長でした。
ところが、1982年、ジブラさんが10歳の時、あのホテル火災があり、多くの人が犠牲になったのです。
色々、設備の不備が問われて、祖父、横井英樹さんは、実刑判決が下り、祖父の対応の悪さにバッシングもひどかったです。
当然、ジブラさんも、このことでいじめにあったのです。
このことで、すさんでしまったことは違いないのだと思います。
Zeebra(ジブラ)と慶應義塾大学
ジブラさんは、慶應義塾幼稚舎から、内部進学もしていたので、出身大学も慶應義塾大学だと思われたりしていたようです。
でも、実際はこの路線には乗れなかったわけですが。
2017年9月から、特別講師に招かれるのです。
12月13日、約50人の学生に講義を始めます。
この日のテーマは1990年代の米国のヒップホップの歴史。東海岸と西海岸のスタイルの違いや、ラップが広く浸透し、経済と結びつきながら市民権を得ていく様子を解説した。
(BuzzFeed Newsより引用)
ミュージックビデオを持ち込んで紹介したり、ジブラさん自身の体験や、トリビアも飛び出し、前のめりになるような講義だったようです。
ジブラさんは、ヒップッホップを文化・芸術として認めてもらうために頑張ってきて、ここまで来たことが本当にうれしかったことでしょう!
ラッパー、と言えば、この人も↓
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