チェッカーズのメンバー亡くなる、デビュー秘話、解散の理由は確執?不仲?一番売れた曲は!

グループ

80年代前半に、突如として現れた派手な出で立ちのロックバンド、チェッカーズ!

私がよく聞いていたのは、「涙のリクエスト」でした。

ボーカルの藤井フミヤさんは、童顔、独特の髪型で派手なアクションで人気でした。

ヒット曲を飛ばしていたけれど、いつの間にか解散していて・・・。

クロベエさんが亡くなったこと、メンバー間の不仲があった、など、ニュースとか週刊誌で知りました。

メンバーのプロフィールなども一緒に、改めてチェッカーズを振り返ってみようと思います。

チェッカーズのメンバー、クロベエ、亡くなった

徳永善也(とくながよしや)

愛称クロベエ  (小学校の時、いつも黒いジャンバーを着ていたから)

それにしても、愛らしい呼び名ですね。

年齢:1964年6月7日~2004年8月17日(40歳で亡くなる

出身:福岡県久留米市

血液型:A型

身長:174㎝

高校:私立筑紫工業高校(現在は、筑紫台高校)

その他:高校1年の時からバンドをやっていて、ドラマーとしての評判が良かった。

・1980年、その評判の良さを耳にして、メンバーが強引に連れこんで、

うちのバンドに入らなければ山に埋める

とおどされて、加入した、というエピソードは本当のことだそう。やり方が、メチャ強引ですね(笑)

・1992年解散まで、メンバーでいた。

・解散後は、高杢禎彦、鶴久政治と共に、チェッカーズ時代同じ事務所「スリースタープロ」に残る。

・解散後は音楽活動もしていたが、あまり振るわず、大型トラックの運転手をやっていた。

・2003年、「アプラーズ」というバンド活動を始めたとき、舌がんが発覚し、治療しながら、活動を続けていました。

・残念にも、2004年8月17日、帰らぬ人に・・・。

・未婚。

・クロベエさんは、メンバー間の確執を憂いていたそうで、亡くなる年の七夕の短冊に、

「みんなが仲良く、人間関係がうまくいきますように」

と書いてあったのだそうです。

クロベエさんは、気の荒めなメンバーの中でも、穏やかで平和主義的な人だったのですね。

この短冊が遺書みたいになってしまいましたね。

残念です・・・。


チェッカーズのデビューのきっかけ、デビュー日、デビュー曲は?

久留米の学生時代、武内亨、藤井フミヤと高杢禎彦はそれぞれのバンドで人気を二分していました。

1980年、久留米で一番のバンドを作る!と武内亨がフミヤを誘います。

高杢禎彦は、2回審査に落ちますが、加入を決めます。

当時いたベーシストが脱退したので、臨時として、尚之が入ります。

その後、フミヤは、あるダンスパーティーで、鶴久政治さんとの出会いが。

鶴久政治さんは、お遊び程度にバンドもやっていたが、半ば強引に、メンバーに加入させられます。

そして、いいベーシストが欲しかったチェッカーズの面々は、大土井裕二に目をつけて、今のバンドがあるから、という気持ちをくつがえして、こちらも強引に加入させられます。

そして、尚之には、チェッカーズにいたかったら、サックスをしろ、と言い渡します。

本当に、すごい強引‼

そして、当時中学生で、抜群にドラムがうまかった、徳永善也、クロベエのことも、前述の通り、おどしを効かせて勧誘。

そうして、チェッカーズのメンバーができあがります。

その楽器に関して上手な人を、引き抜いての結成(笑)

そして、アマチュアバンドのコンテストに、思い出作りの気持ちで挑戦して、地区予選、九州大会、全国大会へ進み、ここでも優勝を勝ち取ります!

動機が、思い出作り、なので、肩に力が入っていたわけでもなく、楽しんでいるようだったのが、勝因かな、と後に鶴久政治さんは言っています。

メンバーの高校卒業を待って、デビュー。

デビュー曲は、「ギザギザハートの子守唄」。


チェッカーズの解散の理由は、確執?不仲?①

チェッカーズは、1992年に解散します。

解散理由、というのは、表向きには、方向性の違い、と言うこと。

この言葉は、間違いはなく、ちょっと便利な言葉でもあります。

チェッカーズがデビューして、「ギザギザハートの子守唄」、「涙のリクエスト」、「星屑のステージ」という大ヒット曲は、芹澤廣明さんの作曲なのです。

中森明菜さんなど、色んな歌手の作曲のヒット曲を手掛けた人。

チェッカーズにしたら、恩人とも言える人なのです。

この芹澤廣明さんと、フミヤさんとが何があったのか、1986年あたり、「Song for U.S.A」を最後に、離れてしまいます。

芹澤廣明さんが、チェッカーズから、手を引いた感じ、でしょうか。

その後、チェッカーズの楽曲は、作詞はフミヤ、作曲は尚之、になります。

もちろん、この二人の才能で、その後も続いていたのですが。

でも、高杢禎彦さんは、芹澤廣明さんをとても尊敬していて、恩人と思っていたので、このことで、フミヤさんに対して、反感を持ち、そして確執ができるのですね。

チェッカーズの解散の理由は、確執?不仲?②

高杢禎彦さんは、がんを発症してから、遺書のつもりで書いた暴露本を出します。

そこで、

金のためなら恩も売る。これがチェッカーズの本質だったのか!

と痛烈な批判をしています。

そして、クロベエさんの葬儀でインタビューを受けたフミヤさんは、

モクの本はデタラメって聞いているから読んでません

と発言・・・。

バンド内の人間関係を心配していたクロベエさんのお別れの会だったのに、決定的な反逆ですね。

結局、フミヤさんと、高杢禎彦さんの確執がそもそもの原因なのかな。

フミヤさんにしてみれば、自分達で、曲を作り、プロデュースをしたい、という気持ち?欲?、をうまく調和させられれば良かったのかもしれません。

血の気の多い、でも、幼なじみだった関係だったから、なかなかうまくいかなかったのか。

もう、こんな年になって・・・。

本当は、うまく距離を縮められないか、と心の隅で思っているのかも、と私は思いたいですね。

青春時代から、ずっと一緒で近すぎた関係。

フミヤ派と高杢派に別れた、と言われていたけれど、2022年に、再結成はない、と発言しています。

クロベエが亡くなっているから・・・、だそうで。

こんな確執は、傍目も辛いです!


チェッカーズのメンバー、藤井郁弥

本名:藤井郁弥・・・解散してからは、「藤井フミヤ

年齢:1962年7月11日生まれ 61歳

出身:福岡県久留米市

血液型:A型

身長:164.9㎝

高校:久留米市立南筑高校

その他:国鉄職員の父、美容師の母。

・チェッカーズでは、ボーカル。小柄なんだけど、すごく目立っていましたね。

・その独特のファッションは、当時の若者に影響を与え、真似する人、続出。

・1993年からソロ活動を。この年、「TRUE LOVRE」を発表し、大ヒット。いい曲です!

・料理が得意。鍋やバーベキューは、仕切る人らしい。

・1990年、28歳の時、結婚。きれいな奥さんです。

・長男、藤井弘輝は、フジテレビのアナウンサー。朝の情報番組「めざましテレビ」でよく見ています。あまり似てないなー、と思いました。

 

藤井フミヤの妻、なれそめ、アナウンサーの息子、娘は?若い頃は?大ヒット曲「TRUE LOVE」
1983年に、男性の7人グループ、チェッカーズがデビュー。 そのビジュアルや、ファッションで、一躍アイドルグループに! でも、やんちゃそうなグループだな、という印象でした。 特に、メインボーカルの藤井フミヤさんは、かっこか...



チェッカーズのメンバー、武内亨(たけうちとおる)

別名:アンバサダー武内、Crazy Tohru、通称は、トオル。

年齢:1962年7月21日生まれ 61歳

出身:福岡県田川市

血液型:O型

身長:166㎝

高校:福岡県立八女工業高校卒

その他:元リーダー。リーダー気質で、高校時代の愛称は、「先輩」。そういう人がいてこそ、グループが成りたちますね。

・クロベエを送る会も、責任者を務めていた。

・藤井フミヤを誘った人。

・実家はスナックをしていた。メンバーが集まり、練習も。

・ギターを担当。

・左利きだが、ギターは、右利き用も左利き用も扱える。器用な人だ!

・1992年に結婚。2男を授かるが、2009年に離婚、2男を引き取る。

・2010年あたり、再婚し、1男を授かる。

男の子ばかりだけれど、大事にしていることがうかがえますね。


チェッカーズのメンバー、高杢禎彦(たかもくよしひこ)

通称:モク

出身:福岡県久留米市

血液型:A型

身長:173㎝

高校:私立柳川高校卒

その他:実家は理容室、兄弟は姉一人。

・藤井フミヤ、尚之兄弟とは幼なじみ。

・チェッカーズに入る為に、2回、審査落ち後、加入。

・サイドボーカルを担当。

・俳優もやっていて、凶悪犯の役をしたことも。何か、悪いですが、ピッタリな感じ。

・中学時代は不良グループにいた。番長だった。やっぱり・・・でしたか。

・1990年2月、結婚。奥さんは、レースクイーンをしていた人。

・胃がんが発覚したが、奥さんの励ましで、手術、回復している。


チェッカーズのメンバー、大土井祐二(おおどいゆうじ)

愛称:ユウジ、ゆうちゃん

年齢:1962年11月2日 60歳

出身:福岡県田川市

血液型:B型

身長:176㎝

高校:福岡県立三井高校卒、第一経済大学中退

その他:ベース担当。

・自分で新しいバンドを作るまで、という約束でチェッカーズに入ったがそのままデビューする。

・2003年、クロベエさん、藤井尚之さん、武内亨さんと共に、「アプラーズ」を結成。

・1993年あたりに結婚。子供は一人(性別は不明)。

・大井戸裕二さんの事は、あまり記憶になくて、今更ながら、どんな人だったのかなー、と。

・若いときは、フミヤさんや、尚之さん人気だったけれど、シュッとした精悍な顔立ちでかっこよかったのだろうなー、と思います。

・それに、誠実そうな感じがしています。


チェッカーズのメンバー、鶴久政治(つるくまさはる)

愛称:マサハル、マーさん

年齢:1964年3月31日生まれ 60歳

出身:福岡県久留米市

血液型:A型

身長:172・5㎝

高校:久留米市立南筑高校卒、第一経済大学中退

その他:担当は、サイドボーカル(高音)、時に、キーボード。

・実家は青果店。

・チェッカーズ時代にも、ソロ活動に力を入れていた。

・メンバーの中でも、酒・たばこを一切やらない、唯一の人。こんな人もいたんですね。

・1991年3月、ソロコンサートの初日、自身の結婚を報告。泣き出すファンもいたとか。「幸せを隠しておくのがつらかった」という理由。人気者だったのに、打算が働かなかったのが偉いなぁ、と思います。

・フミヤには、華があって、自分は空気みたいな存在だ、と自虐的に言っていたことがありますが、その後、勉強して、作曲家として、活躍します。

・自身をまっすぐに見つめて、人気におぼれずに、勉強する意気に感じ入りました。


チェッカーズのメンバー、藤井尚之(ふじいなおゆき)

藤井尚之(ふじいなおゆき)・・・藤井フミヤの実の弟、兄と同時に上京

愛称:ナオユキ、尚ちゃん

年齢:1964年12月27日生まれ 58歳

出身:福岡県久留米市

血液型:A型

身長:171㎝

高校:九州産業高校卒

その他:フミヤが母親に頼まれてチェッカーズの加入させた。理由は、あまりに暇にしていたから。

・元々は、ベース担当だったが、大土井裕二の加入で、サックスを担当。元、ベーシストとは知らなかったです。

・2005年、一般女性とハワイで結婚。12歳年下。2010年、女児を授かる。

・チェッカーズでは、フルートを演奏したり、作曲も数曲している。

・尚之さんと言えば、長髪(ロン毛?)のイメージがあります。


チェッカーズのメンバー、現在は?

藤井フミヤ・・・

・楽曲提供は、大ファンの福岡ソフトバンクホークスの応援歌、「勝利の空へ」、久留米市の市歌「ふるさとのささやき~新久留米市の歌~」などなど。

・デザイン、アートの才能も活かして、愛・地球博の名古屋市パビリオンをプロデュースしたり、母校の制服のデザイン、地元のロゴデザインなど、携わる。まさにアーティストですね。

・1997年、弟、尚之と、「FーBLOOD」を結成。

・2020年、還暦コンサートを日本武道館で開催。

武内亨・・・

・武田真治、ケミストリーのサポート、プロデュースなどの活動。

・2003年、藤井尚之・大土井裕二・徳永善也と「アブラーズ」を結成。

・2015年、長男、次男が薬物の容疑で逮捕・・・。

高杢芳彦・・・

・チェッカーズ時代から、俳優もやっていて、解散後も、バラエティー番組にも出ていた。

・2002年、40歳の時、胃がんを発症。

・妻が女将をやっている旅館を手伝っている。

・講演活動もしている。

大土井裕二・・・

・アブラーズの活動は続いている。

・ソロ活動も。

・2021年、アパレルブランド「YUJI ODOI」を発表。

・2023年4月、体調不良から、2週間の入院。5月3日には退院。

鶴久政治・・・

・チェッカーズ解散後は、いくつかの事務所を転々としていた。

・STU48に提供した「花は誰のもの?」がロングヒット!

藤井尚之・・・

・1996年、フジテレビ系の「LOVE LOVE あいしてる」で、バックバンドの一人として、サックスなどで参加。

・2005年、結婚。

・ライブを中心に、音楽活動を続けている。

 

メンバーはみんな60歳前後の年齢。

まだまだ、体もよく動く年ですし、それぞれ音楽活動をやっていますね。

これくらいの年齢になれば、ずっとじゃなくても、再結成しようや、という話がでたりするものなんですが・・・。


チェッカーズの一番売れた曲、隠れた名曲

一番売れた曲、

ジュリアに傷心」「涙のリクエスト」「星屑のステージ」「あの娘とスキャンダル」、この順番だそうです。

自分的には順位は付けられない、どの曲も、好きですね。

ヒットするのも納得の作品たち。

あの時代のかれらのパワーが、よみがえって来ます。

隠れた名曲と言われているのが、

哀しみのバージンロード」・・・甘くて切ないフミヤの声がヤバい曲です。

やはり、詞の良さ、半端ないのです。

おまえが嫌いだ」・・・クロベエさんのドラムが抜群に光っていた曲。

ちょっとパンク気味な曲、挑戦的な所、若さ、がすべていい曲です!

 

今は、昭和的な、こんな無骨なバンドは、どう受け止められるのだろう、と考えてしまいます。

色んなことがあったチェッカーズですが、その時代に大きなインパクトをくれたロックバンドです。

ありがとう!、と言いたいです!


 

 

 

 

 

 

 

 

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