森山直太朗、病気の時、妻が支えに!現在は?母・父の存在、名曲「さくら」

俳優

森山直太朗さん、というとまずは「さくら」を思い出します。

フォークやポップスなど幅広い作品を発表していて、母の森山良子さんと共に、日本を代表するアーティストの一人です。

そんな森山直太朗さんも、40歳代に入って、顔面麻痺や発声障害、コロナ感染などの病気でずいぶん苦しい時期がありました。

そんな時に、側で支えてくれた、ピアニストの妻、平井真美子さん。

現在の活動や、父、母のことなど、森山直太朗さんのプロフィールにも興味を傾けました。


森山直太朗の病気① 顔面麻痺、発声障害

森山直太朗さんは、2002年にデビュー。

その翌年「さくら(独唱)」がヒットし、その年の紅白歌合戦に初出場します。

大物歌手「森山良子」の息子、ということもあり、知名度もすぐに上がりました。

なので、あまり苦労もなく、安定して活動をしているアーティスト、という認識でしたが・・・。

森山直太朗さんは、周りの期待に応える、というスタンスでずっと仕事をしていました。

100%の人に認められないと、という観念で自身を追い詰めてしまっていたのですね。

でも、そのことで、自分自身の心をないがしろにしてきた、と言います。

大好きだったのに、表現することが苦痛になっても来ていて・・・。

2018年から2019年に、『人間の森』ツアーで全国をまわっていました。

その頃から、体の異変を感じ、ついには、顔面麻痺という症状が出てきます。

そして、発声障害

顔面麻痺は左側がきつかったようですね。

2020年の紅白歌合戦に出場したとき、左目が不自然だとか、左の口角が動いていない、などsnsでの投稿が多数。

こういう症状で、「脳梗塞」なのかも、という噂までたちました。

実際は、脳梗塞は臆測でしかなかったようですね。

まさに精神的な自身への負担が大きすぎて引き起こした症状だったのでしょう。


森山直太朗の病気②その後、コロナに感染

森山直太朗さんは、その後、2021年夏、4回目の緊急事態宣言が出ていた頃。

ドラマの撮影が忙しく、体が弱っていた時期、といいます。

コロナに感染してしまうのです。

コロナ感染も、比較的軽めで済む人もいれば、重症になる人もいたり、後遺症に苦しむ人もいますね。

森山直太朗さんの場合は、10日10夜、40℃の熱が続いたそうなんです!

酸素濃度もかなり低くなり、頭痛がひどく、のたうち回っていたとか・・・。

幻覚をみているように、悪夢にうなされたり独り言を言ったりして、少なからず、死を意識したとも。

10日を越えると、少しずつ回復の方向に。

本当に良かったですね!

これで、体重が8kgも落ちたそうです・・・。

しかし、先の、顔面麻痺、発声障害、コロナ感染が続いて、「生」への思いがこみ上げます。

今まで、大きくなってしまっていた自分の虚像を感じます。

そしてこれを見直し、本当に自分が望んでいることに意識を向けることができるようになったそうですね。

こんなに体がつらい思いをしたことで、自分を取り戻すことができて、本当に良かったですね!

この後、そんな経験によって得た思いを託した曲が、「素晴らしい世界」。

そうして、生きながら生まれ変わろうと、御徒町凧さんとのコンビを終えて、独り立ちをしました。


森山直太朗の闘病を支えた妻はピアニストで作曲家

森山直太朗さんは、2018年(平成30年)に、ピアニストで、作曲家の平井真美子さんと結婚しました。

1976年(昭和51年)生まれで、森山直太朗さんと同い年

京都府出身で、桐朋学園大学音楽部ピアノ科の卒業生です。

桐朋学園大学、と言うと、小澤征爾さん、高嶋ちさ子さんなどの精鋭の先輩がいますね。

森山直太朗さんがデビューする以前の、2001年に、知り合っていて、知人の間柄でした。

そして、ライブで、サポートピアニストとして参加する機会もあったようです。

元々気が合って、仲良く話している時に、付き合ってるの?と聞かれたことがあったそうです。

その時、平井真美子さんが、いやいや、と否定したのです。

そして、その時から、森山直太朗さんは、平井真美子さんを意識するようになった、とのこと。

そうして、2018年、上賀茂神社で挙式しました。

結婚してからは、森山直太朗さんとって、真美子さんは心の支えになりました。

コロナなって、もう、歌えなくなるかも、と不安な時がありましたが。

そんな時にも「絶対!大丈夫!」と何度も言って励まし続けたのは心強かったでしょうね。

森山直太朗さんは、曲作りや、一人になりたいときのため、山小屋を購入しています。

時に、そこにこもる事もあるようですが、真美子さんは、寛容に受け入れているそうです。

これは、心強く、ありがたい、と思えますね。

素敵な奥さまです!


森山直太朗、現在は

森山直太朗さんは、デビュー20周年記念ツアーを、2022年6月から始めていました。

20thアニバーサリーツアー素晴らしい世界』。

「素晴らしい世界」前篇(弾き語り)を2022年6月から。

そして、中篇(ブルーグラスバンド)・後篇(フルバンド)。

「素晴らしい世界」前篇追加〈弾き語り〉を2023年1月から。

さらに、後篇〈2023〉・前篇〈追加の追加〉・〈前篇・中篇・後編〉。

全国各地の、大ホールや、ジャズクラブ、ライブレストランなどでも実施しました。

そして、2024年3月16日には、

『素晴らしい世界』〈番外篇〉in 両国国技館 を開催予定しています。

結構、2022年から、ハードなスケジュールですね。

でも、自身の意にかなったライブでしょうから!

体は疲れても、精神的には、以前のような重圧はないでしょう。

また、NHKで放映中の『オチビサン』(アニメ)の主題歌、「ロマンティーク」が1月31日にリリース。

アナログ盤が、2月28日にリリースされます。

このアナログ盤のジャケットのデザインを、新進気鋭の画家、山崎雅未さんが手掛けています。

病気の時のつらさを乗り越えてのツアー、バージョンアップしていることでしょう‼


森山直太朗の母は、森山良子、父はジェームス滝

森山直太朗さんの母親は、ご存じ、フォークの女王、歌謡曲の女王とも言われた森山良子さん。

父親は、後述する、再婚相手のジェームス滝さん。

森山直太朗さんには、姉(マネージャーをしている)奈歩さんがいますが、異父兄弟の姉ですね。

さくら(独唱)」がヒットしたとき、うれしかったのだけれど、調子に乗っていないか、心配でもあったそうです。

そのどちらの気持ちも、親心ですね。

この親子は、色々と共演をしています。

2005年には、紅白歌合戦で、「さとうきび畑」を。

2016年には、Mステで、「涙そうそう」を一緒に歌唱。

2022年には、NHKの『SONGS』では、母に贈る「」を二人で歌唱。

家では、親子げんかで雰囲気が険悪になった時。

そんな時には、奈歩さんの旦那さんの小木博明さんがうまーく場を和ませてくれるのだそう。

森山直太朗さんの父親は、は、ジェームス滝という、元グループサンズのミュージシャンです。

森山良子さんの2人目の夫。

本名は、「相良直嗣」さんで、日本人です。

価値観の違い、で離婚しています。

今は、70年代のスタンダードジャズやポップスなどで、ライブハウスでの活動をしているようです。


森山直太朗の年齢・出身・身長・血液型・学歴・経歴・性格

森山直太朗さんの

年齢:1976年(昭和51年)4月23日生まれ 48歳

出身:東京都渋谷区

身長172㎝

血液型B型

学歴:成城中学校、成城高校、成城大学経済学部卒

経歴:高校時代は、サッカーがうまく、キャプテン、プロになる夢を持っていた。

音楽活動をずっと共作している「御徒町凧(おかちまちかいと)」はサッカー部の1年下だった。

大学時代に井の頭公園などで、歌っていて、2001年インディーズデビュー。

2002年にはメジャーデビューし、2003年の「さくら(独唱)」がヒット、紅白歌合戦に初出場。

2015年10月から、半年の活動休止をしていた。(追突事故をおこしていた。双方に怪我はなし。)

性格:温和、仕事では筋を通す、個性的、面白い、性格は破綻している(親友・西川貴教、談)

兄弟:異父兄弟の姉、奈歩(奈歩の夫が、おぎやはぎの小木博明)

 

森山直太朗さんの「さくら(独唱)」は、歌いやすく、美しい詞、ということもあり、教科書に載る、という偉業!

これからも、美しい歌声で、人生の機微に触れるような作品を作ってほしい、と願います。

 

森山直太朗さんの母「森山良子」さんの情報はこちら↓

 

森山良子現在の夫は!家系図が華麗!娘も歌手?身長・血液型・自宅
森山良子さんは、60年代後半に19歳で「この広い野原いっぱい」でデビュー。レコード大賞での受賞、紅白歌合戦にも常連、作詞・作曲も。俳優として、テレビドラマに出たこともありますね。また、ラジオ『オールナイトニッポン MUSIC10』でのMC、...

 



コメント

タイトルとURLをコピーしました