研ナオコさんは、コミカルでかざらない芸人さんのような面白さのある人ですが…。
「愚図」「あばよ」「かもめはかもめ」「夏をあきらめて」など、まだ記憶に新しい気がします。
芸人さんとも、色んな歌手やアーティストとも付き合いが広く、いい曲にも恵まれてきましたね。
旦那さんとも仲良く、一緒にsnsに登場していて、今もとても”いい顔”をしていて何よりです。
そのイケメンな旦那さんとのことなど、調べてきました。
研ナオコ、旦那との馴れ初めは?
研ナオコさんの旦那さんは、ちょっと加瀬邦彦さんに似た、野口典夫さん。
俳優をしていたこともあり、「三井大介」という芸名でした。
なかなかのイケメンですね!
初めて二人が出会った時には、研ナオコさんは元旦那さんと婚姻関係中でした。
なので特に何も発展はなかったのです。
野口典夫さんは、テレビ番組制作会社で働いていました。
後の1985年、研ナオコさんが、テレビ番組で、『女ひとり旅』に出ることになりました。
その番組の担当をしていたのが、野口典夫さんでした。
研ナオコさんの方が7歳年上なのですが、ここでの出会いでお互い意気投合したのですね。
1986年の秋頃には交際の事が週刊誌に載って、特に否定することもなかったようです。
交際は順調に続いたのでしょう、1987年7月7日に結婚。
記者会見を開いた時には、開口一番に、妊娠5ヶ月、ということを告白します。
当時はまだまだデキ婚も珍しかったと思いますし、ずいぶんと世間をびっくりさせてくれました。
それに、この妊娠のことも5ヶ月に入ってから、どうもおかしい、と診察に出向いたのですって!
便秘なんだと思っていたのだそうです。
忙しかった研ナオコさんは、常に何だか体調が悪いような日常だったのか、気づかなかったのは不思議ですね。
お二人は、お互いにバツイチ同士で、お互いに再婚、になりました。
和田アキ子さんや、デュエットを組んだこともある田原俊彦さんなど、たくさんの芸能人から祝福されました。
研ナオコの夫の若い頃、職業、病気したのは研ナオコの方
研ナオコさんの旦那さんの野口典夫さんは、若い頃は、前述しましたが、俳優をしていました。
1983年あたりから、テレビドラマに出演していた野口典夫さん。
1987年からは、プロデューサー野口典夫として1991年までドラマの制作にたずさわっています。
研ナオコさんと結婚後、”ケンズファミリー“という名の芸能事務所の経営に乗り出します。
元々、旦那さんも芸能関係の仕事が好きだったのですね。
その旦那さんが病気?と言われていますが、特にこれと言った大病はしていないようです。
病気は旦那さんではなく、研ナオコさんの方で、ごっちゃになった情報なのでしょう。
若い頃からずっと、研ナオコさんは偏頭痛に悩まされていました。
2007年、アメリカでの仕事中、ひどいだるさに見舞われて、倒れてしまうのです。
これが、”橋本病“だと診断されます。
長年の偏頭痛の原因はこれだったのです。
この病気は、甲状腺の異常から来るものなんですね。
なので、甲状腺ホルモンを補うための薬を飲むことで、今までの辛い不具合は良くなったそうです。
わかって良かったですね!
この病気は脳梗塞を起こす可能性が高くなる、そうで…。
それでか、脳梗塞になった、とか死亡説まで出たことがあります。
迷惑な話ですよね!
2017年、舞台で右大腿骨頸部を骨折で、長い間休養したこと。
また、この時の痛みやつらさで鬱(うつ)になったのも、研ナオコさんでした。
研ナオコ、元夫との出会いと離婚まで
研ナオコさんの最初の夫は、箕輪勇二さん。
コンサートの企画会社の社長をしていました。
それ以前に、研ナオコさんのバックバンドのマネージャーをしていました。
そこが最初の接点ではないか、と思われます。
その昔、1977年には、大麻所持で書類送検、その後起訴猶予になったことがありました。
そう言えばそんなこともあったなー、と思いだしました。
当時は、半年の謹慎処分になりましたが、やっぱり、自責の念もあったでしょう。
滅入っていた時に、箕輪勇二さんが支えてくれていました。
1979年になると、同棲を始め、1981年に結婚しました。
その後、箕輪勇二さんは1982年に不倫報道がされますが、本人がすぐに否定しています。
またその後は別の暗雲が立ちこめます。
箕輪勇二さんの経営する会社が事業不振に陥って、借金も1億を越えてしまうのです。
夫婦なんだから、財布は一緒との考えが、箕輪勇二さんはあって…。
研ナオコさんに複数回のお金のサポートを申し出るのです。
研ナオコさん自身は、夫婦なんだから支え合うのが当たり前的な気持ちで助けていたのです。
しかしながら、話し合いを重ねて、やはり価値観の相違、ということで1985年に離婚となります。
借金癖のある夫、と言われていた夫をかばうように、子供がいなかったから、と研ナオコさんは説明していました。
研ナオコさんの献身的な面を見たような気がしました。
研ナオコの代表曲は!
研ナオコさんは、デビューしてから、50年を越えていて、たくさんのヒット曲がありますね。
1975年の「愚図」は、宇崎竜童・阿木燿子夫妻の作品で、研ナオコさんにとても合った曲でした。
また、「あばよ」(1976年)は中島みゆきさんの作品で、中島みゆき・研ナオココンビはベストコンビだと思いました。
どちらの曲も、賞をもらっていますね。
それから、謹慎後に、またまたの中島みゆきさんの「かもめはかもめ」の大ヒットで受賞!
この曲で、紅白歌合戦にも返り咲くのです!
ここから勢いがついて、1982年「夏をあきらめて」(桑田佳祐さんの作品)はまたまたの賞づくしでした。
また面白い企画で、田原俊彦さんとのデュエットの「夏ざかりほの字組」(1985年)もヒットします。
田原俊ちゃんは、このデュエットの縁もあってのこと。
研ナオコさんが病気で参っている時に励まし、復活の機会になったのです。
研ナオコさんは、デビューした最初の頃、CMで自分の容姿を自虐的に表現したことがありました。
みずから言うことで、人気になりましたね。(ミノルタカメラ)
ヒットした曲たちも…。
うまくいかない恋をドラマチックに雰囲気を出して歌える研ナオコさんだからなんだと思えます。
研ナオコの年齢・出身・身長・血液型・学歴
研ナオコさんの
年齢:1953年(昭和28年)7月7日生まれ 71歳
出身:静岡県伊豆市
身長:162㎝ (51.5kg)
血液型:A型
学歴:静岡県立三島南高校 中退
研ナオコさんに曲を提供した、宇崎竜童さんの記事もあります↓
また、研ナオコさんに曲を提供した、中島みゆきさんの情報もあります↓
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