吉田拓郎さんと言えば、70年代初めにギター一本で、一人つぶやくようなフォークソングで登場した人。
シンガーソングライター、という人たちがその後続々と現れ、吉田拓郎さんは、草分け、と言ったところでしょうか。
拓郎さんの歌を、高校の頃、男子の何人かは学校にギターを持ってきていて、よく歌っていました。
当時はsnsもないし、ラジオや、レコードで聞いて何か新しい音楽のシーンが生まれている感じがしていました。
拓郎さんも、もう78歳だそうですが、やはり興味があったのは、結婚・離婚・再婚…。
この結婚歴をまずは振り返ってみたくなりました。
拓郎さんのプロフィールも交えて見ていきます。
吉田拓郎の結婚歴、四角佳子との馴れ初め
吉田拓郎さんの最初の結婚は、六文銭のメンバーの、四角佳子(よすみけいこ)さん。
四角佳子(よすみけいこ)さんは、16歳の時に、当時のビッグなバレエ団「西のバレエ団」に入団。
四角佳子(よすみけいこ)さんは、志麻ゆきという芸名で、期待の新人とされていました。
1068年、日本テレビの「レ・ガールズ」でデビュー、「風に乗って」で歌手デビューもしていました。
その後、一度引退して大阪の実家に帰っていましたが、小室等さんに声かけされ、六文銭に。
そして、引退後の初仕事の時に、吉田拓郎さんと共演していました。
当時、吉田拓郎さんは、六文銭と一緒の仕事が多く、四角佳子さんとの距離も縮めていくように。
吉田拓郎さんは、絶対モノにしてやる!みたいな意気込みがあったようですね。
一方、四角佳子さんの方の印象はヘラヘラ~、としている拓郎さんにあまりいい印象はなかったようで…。
ある打ち上げの夜、酔った吉田拓郎さんが4人を相手にケンカをし、その時に介抱をした四角佳子さん。
その時、本気になった吉田拓郎さんは、交際を始めます。
付き合うようになってからは、四角佳子さんのほうが裏表のない拓郎さんに急激に惹かれていきます。
「結婚しようよ」は、四角佳子さんのために作った歌、と言われていますね。
二人でレコードを聞いている時に、サラッと「結婚しようか」とプロポーズ!
吉田拓郎、四角佳子との離婚
吉田拓郎さんは、この後、1972年6月に結婚します。
当時は必ず仲人を年配の方にお願いしたものですが、この結婚では、小室等さんです。
場所は、軽井沢の聖パウロ教会です。
感動のあまり、泣いた拓郎さん…。
しかし、亭主関白気味な拓郎さん、元々気の強い四角佳子さんとはケンカになることが多かったと。
吉田拓郎さんは、この性格的な相性への不安は多少持っていたようです。
その後、1973年に女子大生が暴行された、との訴えがあり、8日間の拘留、その後虚偽とわかります。
この時には、四角佳子さんとの亀裂もなく、支えていたようですが…。
1974年に、”彩”さんという女の子に恵まれました。
でも、1975年には、浅田美代子さんとの不倫騒動があって、拓郎さんは自身のラジオで自ら言います。
四角佳子さんは好きだけど、一緒に暮らすのは耐えられない、と‼
気の強い奥さんだから、いつもすぐケンカになったり、実家に帰ってしまったり…
そんな生活がしんどくなったのでしょうか。
一方の四角佳子さん側は、ケンカになった時には暴力を受けていた、と雑誌での取材で話しています。
口で返すことでは負けてしまうので、思わず手が出る。
こういうシーンは割にあちこちであるのではないでしょうか。
そうして、1975年には、離婚することになります。
吉田拓郎、浅田美代子との出会い
吉田拓郎さんと浅田美代子さんの出会いは、ラジオです。
「吉田拓郎のオールナイトニッポン」に、浅田美代子さんをゲストに招いていました。
1974年12月のことです。
この時、浅田美代子さんは、18歳!
吉田拓郎さんは、浅田美代子さんに、「じゃあまたね」という曲を提供していました。
この時点では吉田拓郎さんは、四角佳子さんと夫婦でいる時。
しかし、ちゃんと美代ちゃんの電話番号をゲットしていました。
いけませんね‼ 浮気心…満々ですね。
そして、浅田美代子さんの家に、「吉田です」と電話を入れます。
ちょうど、10代で芸能界入りして事務所や親の監視もあり、自由に恋もできなかった美代ちゃん。
同い年の女の子は、自由に遊んだり恋をしたりしているのに…。
芸能界での活動に限界を感じていたころでした。
9歳年上の吉田拓郎さんは、いつも自由で余裕があって、堂々と自分に向かって愛を表現してくれる。
そんな時期にそんな吉田拓郎さんと知り合って、美代ちゃんはどんどんのめり込んでいくのです。
まだ婚姻中に、大人気の美代ちゃんとの不倫騒動はメディアにも大きく取り沙汰されます。
当然ながら、大反対の両親…でも背中を押してくれたのは、懇意にしていた樹木希林さん夫婦。
そうして、1975年に四角佳子さんと離婚。
1977年に浅田美代子さんと再婚します。
吉田拓郎、浅田美代子との離婚
浅田美代子さんは結婚後、樹木希林さんの勧めもあって、結婚後は専業主婦に。
子供はできなかった、というより、浅田美代子さんが、希望しなかった、という話があります。
そうして、1983年には、吉田拓郎さんに、森下愛子さんとの交際が明らかに。
浅田美代子さんにも報道陣からのコメントを求められますが、落ち着いて対応するのです。
浮気癖はあの人のクセ、などと話しています。
この年には、芸能界に復帰していた浅田美代子さん。
結局は、1984年に離婚。
理由として挙げられたのは、”性格の不一致”。
でも本当は、やっぱり、浮気でしょうね。
その時点では、吉田拓郎さんの気持ちは森下愛子さんにあったんだし、裏切りですよね。
吉田拓郎、森下愛子との馴れ初めは?
そうして、浅田美代子さんと離婚。
1986年に、吉田拓郎さんは、森下愛子さんと再婚。
吉田拓郎さん、40歳、森下愛子さん、28歳。
森下愛子さんとの出会いとは、やはり吉田拓郎さん自身のラジオにゲストに呼んだ事が始まりなんですね。
下心見え見えなので、周囲には気をつけるように言われていた森下愛子さん(笑)
その時には進展はやはりなかったのです。
それから、決定的なキューピットが現れました。
俳優の中村雅俊さんです。
森下愛子さんと呑んでいるから来ませんか、と電話。
そうして三人で呑んで、中村雅俊さんが、ホテルに行っちゃいなさい、と言って立ち去り…。
この勧めをちゃんと実行した吉田拓郎さん…。
でも前回と同じ、婚姻中の不倫でした。
吉田拓郎さんって、本当に気の多い人ですね…。
でも、さすがに結婚はこれが最後。
ストレス性の病気になって、一時は芸能界での仕事を休んでいた森下愛子さんを支えていたようですね。
口数の少ない森下愛子さんのことを、神秘的、とか、側に置いておくだけで十分、などと言っていた吉田拓郎さん。
吉田拓郎さんも、2003年に肺がん、2007年には更年期障害、2014年に咽頭がんにかかっています。
この時には、森下愛子さんは、仕事を抑え気味にして、支えています。
3度目の結婚で、やっといい感じの夫婦になれた、ということでしょうか。
それにしても、3人とも、丸顔で、愛くるしい、可愛い系の感じが吉田拓郎さんの好みなんですね!
吉田拓郎の子供は何人?
吉田拓郎さんは、3度の結婚生活のなかで、子供を授かったのは、四角佳子さんとの間の子供さん。
女の子で、”彩”さんと言います。
四角佳子さんと離婚後は、全然会うことはなかったそうです。
それが、1999年、彩さんと再会したそうです。
その時の吉田拓郎さん談
自分の娘じゃなかったら口説いていたかもしれない
なんてテレビで言っていたそうです。
きれいだな、可愛いな、というのをこういう表現するなんて…ねー。
この彩さんは、2003年に結婚した、と、四角佳子さんのブログにあったようです。
(もちろん、結婚式に呼ばれていません)
その後、吉田拓郎さんにとって、孫になる、子供さんを出産したそうですね。
でも、会えないんでしょうね…。
吉田拓郎の年齢・出身・学歴・血液型・身長・父親・兄弟
吉田拓郎さんの
年齢:1946年4月5日生まれ 78歳
出身:小学2年まで、鹿児島県宇佐市、その後、広島県広島市(南区)
学歴:広島修道大学(当時は、広島商科大学)
血液型:A型
身長:176㎝
父親:吉田正廣(よしだまさひろ)…吉田家の養子だった人
鹿児島に生まれ育ち、鹿児島県庁務め。
朝鮮総督府官吏・朝鮮史家・郷土史家。
朝鮮半島の農地制度の近代化の基礎を作った人。
小さい頃は貧乏生活で、子供たちにまずは食べさせる苦労をする母を間近で見ていた拓郎さん。
母は、栄養士の国家資格を持っていて、広島へ移り、別居生活になります。
一方、父は学者肌で、稼いだお金を仕事に回すことが多かったのです。
拓郎さんは、父は妻子を見捨てた、との気持ちを持ち続けてきたようです。
その分、母への感謝や思慕の気持ちが人一倍強いのですね。
森下愛子さんは、シングルマザーの元に育って来た人なので、そういう部分でわかり合えるようです。
兄弟:姉・兄・姉、それぞれ7歳ずつの年の差。
一番上の姉は、病気で朝鮮からの引き上げ前に亡くなっています。
兄:吉田哲郎…中高と、ラサール出身、立教大学へ。
ジャズピアニスト。
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