1970年代にデビューし、抜群の歌唱力で、新鮮なポップスを披露してきた大橋純子さん。
夫は「佐藤健(さとうけん)」さんで、入籍はしてなく、事実婚だとか。
また、2018年に食道がんを公表し、2023年に再発して闘病していた大橋純子さんが、11月9日にご逝去されました。
大ヒットした、「シルエットロマンス」や、大橋純子さんのプロフィールや経歴などを振り返ってみたいと思います。
大橋純子の夫は、佐藤健(さとうけん)で事実婚、子供はいるの?
「佐藤健」とあると、ついつい「さとうたける」さんを思い浮かべますが、大橋純子さんの夫は、「さとうけん」さんです。
佐藤健さんは、作曲家・編曲家で、大橋純子さんや、中森明菜・岡田奈々・松原みき・山口百恵・光GENJIなど、様々な歌手の曲を作曲してきた方です。
佐藤健さんが、ヤマハのライトミュージック制作室に勤務していた時に、大橋純子さんに出会います。
1974年に大橋純子さんはデビュー。
このソロデビューで、佐藤健さんは、1976年、「美乃家セントラルステイション」を結成し、大橋純子さんのバックバンドをしていました。
この頃から、交際が発展したのでしょうか。
その後、大橋純子さんは、音楽留学から帰って、仕事がうまくいかず、結婚して、専業主婦になりたい、と佐藤健さんに訴えます。
しかし、佐藤健さんは、結婚を理由に逃げたらいけない、と婚姻届を出すのを拒否。
そうして、1979年、入籍はせず、二人は一緒に生活するようになり、事実婚、ということに。
才能ある大橋純子に、こんな弱気な面があったんですね。
意気消沈してしまったら、そんな気持ちにもなるのかもしれない、なんて思ってしまいます。
でも、それを否定した、佐藤健さんのきびしい愛!
そして、お二人に子供さんがいるのか、と色々調べましたが、いない、という記述がほとんどです。
音楽活動に専念のお二人だったでしょうし、タイミングがなかったのかな・・・。
大橋純子は食道がんを再発して闘病中だった?
大橋純子さんは、2018年3月、食道がんを自ら公表して、明るく振る舞い、治療に専念すると宣言しました。
この年の、4月には、乳腺がんも併発してしまいます。
しかし、抗がん剤治療などで、2019年3月に、復帰。
復帰後、初の仕事は、「情報ライブ ミヤネ屋」で、「シルエットロマンス」を熱唱。
よく声がでていた、というXでのツイートも。
その後も、歌手活動を続けていましたが、2023年3月、定期検診で、食道がんの再発がわかります。
それで、コンサートなどの活動を中止して、治療に専念します。
大橋純子さん本人の本音の心情としては、愕然、という気持ちもあったでしょうけれど、ボイストレーニングや、体力作り、リハビリなどにも励んだそうです。
まだまだ諦めなかったのですね。
しかし、11月に入って、容態が急変し、9日には、帰らぬ人となってしまいました。
死因は、はっきりとは発表されなかったようですが、がんに起因する症状が原因だったのでしょうか。
73歳という若さ・・・。
折しも、「夏色ソニア」でデュエットを組んでいた、もんたよしのりさんが、10月18日に亡くなったところです。
昭和の時代を賑わせてくれた貴重なアーティストがまた旅だってしまいました・・・。
大橋純子の年齢、身長、出身、血液型、学歴
大橋純子さんの
生年月日:1950年4月261日生まれ、2023年11月9日没 73歳
身長:公表はされていません。
しかし、2017年12月に、都内で、クリスマスライブを「姿月あさと」さんと行なったときのこと。
当時、大橋純子さんは、67歳。
身長の高い姿月あさとさんに、クリスマスプレゼントに身長を5㎝分けて、とねだったそうです。
この時のニュースで、二人の身長の差は20㎝くらい、と記述してあり、姿月あさとさんの身長を調べてみました。
そうしたら、172㎝、とのこと。
ということは、単純計算でも、大橋純子さんは、152㎝?
今までテレビなどでも、あんまり背はないなー、とは感じていましたが、150ちょっと、ということですね。
出身:北海道夕張市
血液型:A型
学歴:夕張北高校、藤女子短期大学卒
大橋純子のヒット曲は「シルエットロマンス」、「たそがれマイラブ」
大橋純子さんのヒット曲、と言えば、色々あるのですが、やはり、「シルエットロマンス」と「たそがれマイラブ」が代表曲になるでしょうね。
「シルエットロマンス」は、1981年にリリースされた曲です。
この曲の息は長く、翌年の1982年には、レコード大賞で、最優秀歌唱賞を受賞。
ていねいで、説得力のある歌唱力は何か情景さえ浮かんできそうです。
聞いていても、安心感がありましたね。
年を取っても、変にアレンジしないで、そのままに歌っているのが、素晴らしい、と感じます。
そして、「たそがれマイラブ」は、1978年にヒットし、TBS系ドラマ「獅子のごとく」の主題歌に。
この年のレコード大賞で、金賞を受賞。
結ばれない大人のラブソングで、切なさを切々と感じる歌唱力に圧倒されました。
大橋純子の経歴
大橋純子さんは、北海道の夕張市で大衆食堂を営む家で育ち、4人兄弟(兄が3人の末っ子)と両親の6人家族。
家では、洋食が中心だったそうで、当時は珍しかったでしょうね。
短大時代は、放送研究会に所属。
また、北海道大学の軽音楽クラブバンドで注目を浴びていました。
大学卒業後、上京し、ヤマハ音楽振興会でバイトをしつつ、バンド活動をしていました。
そして、レコード会社のオーディションに受かって1974年(24歳の時)にメジャーデビュー。
当時のレコード会社と、事務所が一緒だったことで、尾崎紀世彦さんのライブのツアーに1年間同行し、サポートなどを務めました。
大橋純子さんの子供の頃は、夕張市も賑やかだったのですが、炭鉱で盛んだった夕張市は、閉山してから財政破綻してしまいます。
そんな時、2007年3月に、大橋純子さんは、故郷を元気づけるべく、同郷の歌手有志たちと、無料コンサートに参加。
そして、カバーアルバムを発売して、この売り上げを、夕張市に寄付したのです。
なかなか出来ることではないですね。
歌手のいいところは、歌を残しておけること
夕張の暗い冬が、いつまでも続くとは思いません
これは、大橋純子さんが残した言葉です。
行動力があって、優しい、大橋純子さんのことは夕張市の人たちは決して忘れないでしょう。
私も忘れないでいたいです。
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