今は昔、1960年代から歌手デビューし、1975年の引退まで、数々のヒット曲を世に出して人気を博した、愛知県生まれの双子姉妹デュオ、ザ・ピーナッツ。
ザ・ピーナッツのビジュアルは知らない若者も多いのでしょう。
でも、未だにカラオケに行くと歌われている有名な曲も多くて、若い人たちも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
現在のザ・ピーナッツは?
年齢や息子さんのこと、沢田研二さんとのこと、調べてみました。
ザ・ピーナッツの現在の年齢は?
ザ・ピーナッツのお二人は、双子姉妹で、
姉の「伊藤 エミ(本名:澤田{旧姓:伊藤}日出代)」
と、妹「伊藤 ユミ(伊藤 月子)」です。
生年月日は、1941年(昭和16年)4月1日です。
しかしながら、姉、伊藤 エミさんは、2012年に、
妹、伊藤 ユミさんは、2016年に亡くなられています。
引退をしたのは、1975年で、テレビで見れなくなったのは、さみしい気がしましたが、亡くなられたとのニュースは、何ともびっくりで、残念な気がしたものです。
ちなみにですが、双子ならではの、見分け方ですが、左目の横に、ホクロがある方が姉のエミさん、ない方が妹のユミさんです。
ザ・ピーナッツの死因
さて、お二人が亡くなった死因ですが、姉のエミさんは、癌、との情報があるだけで、詳しくはわかっていません。
そして、妹のユミさんは、「かねてから病気療養中で、・・・」とのことで、ご遺族の意向により、死因については明かされていません。
確かに、ご遺族にとってはそこまで追求しないで、というお気持ちだったでしょうね。
ザ・ピーナッツと沢田研二
さて、ザ・ピーナッツと言えば、「沢田研二」さんの話題はつきものですね。
もともと、姉のエミさんは、同じ事務所(渡辺プロ)の、沢田研二こと、ジュリーの大ファンだったのです。
この思いは実って、7年の交際の後、1975年6月4日に結婚されます。
ザ・ピーナッツのお二人の引退が同じく、1975年です。
それは、沢田研二さんが、「結婚するなら仕事を辞めてほしい」と言われたようです。
お二人は、華があるうちに、と引退を決意されたようです。
沢田研二さんとしては、家に帰った時、奥様にはいてほしかったのでしょう。
そして、時代的にも、当時は一般的に、そういう考えが多かったのも事実ですね。
しかし、1987年1月に沢田研二さんが原因で、離婚することになります。
エミさんは、沢田研二さんより7歳年上です。
その後、沢田研二さんはご存じ、年下の女優、田中裕子さんと結婚されるのです。
エミさんの心中は・・・如何ばかりだったでしょう。
ザ・ピーナッツに息子がいるの? 今の年齢や仕事は?
前述の通り、エミさんは1975年に沢田研二さんとご結婚されて、1979年3月に、男児を出産しました。
お名前は、「一人(かずと)」さんです。
その「澤田 一人」さんは、母親のエミさんが亡くなってからは、エミさんの妹、叔母のユミさんと一緒に暮らしていたそうです。
なにせ、かの、沢田研二のひとり息子はどこで何をしている、とマスコミも躍起になって情報を探していました。
しかし、彼は自立して、音楽関係の仕事をしている、らしい、ということしかわかってない模様です。
いっとき、「沢田 正人」という歌手が、沢田研二さんの息子であると言われていた時があります。
誤報ではありますが、この人だよ、と言われれば、何となく目鼻立ちが似ているような気もしないでもないのですが。
沢田正人さんは、どんな気持ちだったのでしょうか。
あんまり、悪い気はしなかったのではないでしょうか。
ザ・ピーナッツのヒット曲いろいろ
ザ・ピーナッツのヒット曲は数々あります。その中のほんの一部をご紹介。
「恋のバカンス」 「恋のフーガ」 「情熱の花」 「ふりむかないで」
「ウナ・セラ・ディ東京」 「銀色の道」 「大阪の女」
「モスラの歌」・・・映画「モスラ」に、お二人は、こびとの役で出演。
モスラ~や モスラ~
と歌い、モスラを呼び出すのです。この歌詞に続く歌詞は、「何語なの?」と思うようなわからない言葉が出てくるのですが、
東京大学に通うインドネシアの男子留学生に歌詞の意味を伝えて、それをインドネシア語に訳してもらったものであるという。 (ウィキペディアより引用)
そして、このインドネシア語をカタカナに表して、ザ・ピーナッツのお二人が歌われたそうです。
カラオケでも、よく歌われるようですね。
「東京の女」・・・この歌は、沢田研二さんの作曲です。
沢田研二さん作曲の歌は、このほかに、「男と女の世界」 「青白いバラ」 「なんの気なしに」の3曲があります。
また、ザ・ピーナッツは、アメリカの「エド・サリバン・ショー」など、海外のテレビにも出演していました。
私などは、「シャボン玉ホリデー」で、毎週見ていましたから、なじみはすごくある歌手です。
日本のポップスを、海外公演などでアピールして広めた最初の歌手なのではないでしょうか。
昭和は遠くなりにけり・・・ですが、歴史に残る女性デュオであることは、間違いありませんね。
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