さだまさしさんは、70年代前半に、フォークバンド「グレープ」としてデビューして、50数年。
2023年には、50周年コンサートも盛大に行なわれました。
さだまさしさんの奥さんは、元CAで美しい人、という話は当時、聞いていました。
なれそめはどんなだったのでしょう。
そして、子供さんは娘さん、息子さんがいるのですね。
さだまさしさんのプロフィールも交えながら、見ていきます。
さだまさしの妻は、元CA、なれそめは?
さだまさしさんの奥さんは、当時、東亜国内航空の(今はJAL)CAをしていました。
当時は、CAとは言ってなく、スチュワーデス、と言っていましたよ。
画像は、雑誌に載った、この一枚しか確認できませんでした。
「丸 英子」さんという一般人で、1957年(昭和32年)生まれ。
さだまさしさんの5歳年下ですね。
おとなしくて控えめな人、という話です。
上品で聡明そうでもありますね。
島根県の浜田市の生まれです。
1976年に、博多にあるホテル内で出会ったのが始まり。
そこで、お話などされたのでしょうか。
連絡先とか交換したのでしょうか。
この年には、もうグレープではなく、ソロでの活動を始めたころです。
そこから7年の交際の末、1083年(昭和58年)に結婚します。
結婚式は、さだまさしさんが1979年に購入した、長崎県長崎市琴海戸根町の「詩島(うたじま)」で。
さだまさしさんは、ロビンソンクルーソーにとても憧れていて、それで島を購入したのだとか!
購入価格は2000万円!
スケールが大きいですね。
さだまさしは、関白宣言をしたのか?
さだまさしさんは、1979年(昭和54年)に、「関白宣言」をリリースします。
この曲を聞いた時は、昔のように性別差に負けないで、女性が自由に活躍してきた時代。
そんな時代に、あえて「関白宣言」という挑戦的な題名で曲を作って発表。
これは、ちょっと時代錯誤では?、と思ったものです。
それというのも、さだまさしさんは、京都のよく通っていたスナックのママさんに言われたのです。
最近の男は、ダメになり、女もダメになった。
しっかりしぃや!、と、そういう歌を作ってよ、と。
そして、この曲は意外と一気に書き上げられたのです。
結果、大ヒットして、ミリオンセラーに!
しかし、一番売れた、と言っても、やはり男尊女卑的な考えだ、という反発も多かったのです。
でも、よくよく聞いてみると、ちょっとえらそうに言う割には・・・。
「できる範囲で・・・」など。
バン!と言ったけど、逃げ道を考えているところや、男のもろいところもあえて見せています。
最後は、嫁になる人へのちょっとした依存心も含めて、愛を語っていますね。
浮気のところ、
ま、ちょっと覚悟はしておけ
と歌う時、いつも、さだまさしさんは、ニヤっと笑っていました。
丸英子さんと、交際中に発表したこの曲。
奥さんは、どんな風にとらえていたのでしょうね。
聞いてみたいところです。
さだまさしの息子は佐田大陸(たいりく)でバイオリニスト!
さだまさしさんの第一子は息子さんで、佐田大陸さんといいます。
1984年(昭和59年〉8月11日生まれの39歳の、バイオリニストです。
お父さんも、3歳からバイオリンを習って、プロを目指していました。
かなりのイケメンですね!
長野県諏訪市の生まれ。
東京音楽大学付属高校~桐朋学園大学音楽学科~桐朋学園大学院大学を卒業します。
そして、2008年から、バイオリン×2と、ピアノのユニットで、デビューしました。
そのユニット名は、『TSUKEMEN(つけめん)』‼
クラシックを中心に新しいスタイルで、海外公演なども行なっています。
メンバーは、TAIRIKU(たいりく・左)、SUGURU(すぐる・真ん中)、KENTA(けんた・右)。
ユニット名を考えている時に、たまたま顔を見せたという、さだまさしさんが、
「おまえたち、イケメンまでいかないから、その手前でツケメンくらいじゃないか?」
と一言。
それぞれの名前の頭、T ・SU・ KEに、MENをつけて、『TSUKEMEN(つけめん)』に!
結構、ダサい、ということで、他にも色々考えたそうですが。
こんなインパクトのあるものがみつからなかったようです。
でも、ひそかに、改名のチャンスは狙っているとか。
バイオリンを始めたのは、父の影響という訳ではなく、おばあちゃんに勧められたからなんですって。
父親について、大陸さんはこう語っています。
気さくな印象が強いと思いますが、そのままですね。1万人と話す時と、僕ひとりに向き合う時が同じ。裏表のない人です。
さだまさしの娘は佐田詠夢(えむ)でピアニスト!
さだまさしさんの二人目の子供さんは、詠夢さん。
目鼻立ちのはっきりした上品な美人さんです。
1987年(昭和62年)6月8日生まれで、36歳。
長野県諏訪市の出身です。
洗足学園音楽大学ピアノコース卒業。
3歳からピアノを習い始めて、海外公演などもたくさん経験しているピアニストです。
その詠夢さんは、ゴスペラーズの北山陽一さんと、2015年に結婚しました。
2013年に、さだまさしさんが東日本大震災復興支援ライブを実施します。
場所は、故郷の長崎市の稲佐山公園野外ステージです。
この時に、ゴスペラーズが出演していました。
見に来ていた詠夢さんは、楽屋で話しているうちに、趣味も合って、意気投合し交際に発展するのです。
「親父の一番長い日」という名曲を生み出したさだまさしさんですが、花嫁の父の気分を実際に味わったのですね。
心境を聞かれたさだまさしさんは、
意外にも恬淡、粛々と娘の選択を受け止め祝福しています
と答えています。
お相手に何の心配もなかった、ということなんでしょうね。
さだまさしの病気とは?
さだまさしさんを調べると、「病気」のワードが。
2024年1月29日、30日開催のコンサートを延期しているのです。
その訳は、喉の不調、ということで、それ以上の情報は明らかにされていません。
ただ、さだまさしさんは、年間で100本ほどのコンサートを行なっています。
このペースって、日本では最高なんだそうで、さすがに喉が疲れてしまったのでしょうか。
また、2024年2月から、テレビでは、さだまさしさんが、病気に関するCMに出ていますね。
「気にしてください、RSウイルス感染症」、というもの。
こういう感染症を知ってもらうための啓発のCMです。
この中で、さだまさしさんに語りかける声は、平原綾香さんです。
さだまさしの年齢・出身・本名・血液型・身長
さだまさしさんの
年齢:1052年4月10日生まれ 72歳
学歴:國學院大學中退 (現在、東京芸術大学客員教授)
出身:長崎県長崎市
本名:佐田雅志(さだまさし)
血液型:A型
身長:165㎝
父親:佐田雅人…2009年に享年90歳で逝去。
母親:佐田喜代子…2016年、享年90歳で逝去。
バイオリニストを目指していた人。
さだまさしさんの「無縁坂」に描かれる母は、自身の母を思っての作品なんだな、と思われます。
祖父:佐田繁治…日清戦争の後、陸軍の諜報部員だったのだそうです。(つまり、スパイ)
祖母:佐田えん…一緒に住んでいて、おばあちゃん子だったそうです。
グレープの相方:吉田正美(今は吉田政美)
1976年に、グレープを解散してからは、映像・音楽のソフトメーカーに勤務しています。
70歳を過ぎても、よく声が出ている、さだまさしさん。
ちゃんと陰では努力をしている証拠でしょう。
トークの面白さもますます磨きがかかってますね。
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