1970年に入って、「フォークソング」と言われる音楽のジャンルが現れ、ギター1本で弾き語る歌を良く聞きました。
私が高校の時は、拓郎(吉田拓郎)が好きか、陽水(井上陽水)が好きか、で2分された時期があり、男子は男っぽく歌う拓郎ファンが多かったです。
女子は、陽水の、独特な高音の透き通る声、繊細な歌詞に魅せられました。
アフロヘアーのあの陽水さんは、もうずいぶんと見たり聞いたりしてないな、と思ったら、死亡説や、引退?隠居説など・・・。
今はどうしているのでしょう。
懐かしい、「少年時代」秘話や、玉置浩二との関係など、井上陽水さんのプロフィールも交えてまとめてみました。
井上陽水の死亡説はデマ
一時代に活躍した歌手や有名人など、テレビなどに出なくなったり、語られなくなると、「死亡」説が出てきますね。
井上陽水さんもしかり。
しかし、井上陽水さんは、いたって元気で、体調に問題はないようだ、と。
たまにショートメッセージで連絡しあっている、という長年の付き合いの音楽プロデューサー(川原伸司さん)が言っています。
井上陽水さんは、2020年に、福岡に新築マンションを購入して一人暮らしをしているのだそうです。
妻の石川セリさんとは2002年から別居生活。
井上陽水さんの不倫(オセロの中島知子と)が2011年に、週間文春にスクープされてからです。
このスクープにはびっくりしました!
そして、2011年には、石川セリさんは、長女の依布サラサさんと福岡に移住しています。
その当時は、井上陽水さんは、都内で一等地の高級マンションに一人暮らし、と報道されています。
どこかですれ違っても、わからないでしょうね。
井上陽水の現在、引退して隠居生活?
しかし、最新の情報では、井上陽水さんは、東京から故郷でもある福岡に越して行ったのですね。
2021年には、個人事務所の代表も退き、オフィスも引き払っているのだそう。
ある音楽プロデューサーが、一緒にやりたい企画があると、今のマネージャーに打診したけれど、たぶんやらないと思います、という返事。
悠々自適、と言う言葉がぴったり、のようですね。
『女性セブン』が、長男・准介さんに取材したところによると、今のところは、音楽活動をなにもしていないけれど、健康面は大丈夫、とのこと。
状況がうまく合えば、音楽活動もまたやるつもり、と言っていましたが。
元気なうちに、またステージで見たいな、という人もいるし、もうそっとしてあげた方が、という声も。
気力が出ないなら、無理なのかも知れませんね。
それにしても、男の人が60歳を過ぎて、ずっと一人暮らし、というのは、気ままで、いいかもしれませんがどんなにか寂しいことでしょう。
井上陽水の「少年時代」は音楽教科書に
井上陽水さんには、たくさんのヒット曲がありますが、やはり最高で超!良質なヒット曲と言えば、「少年時代」でしょう。
1990年9月21日、29枚目のシングルです。
夏は過ぎ 風あざみ 誰の憧れに さまよう♪
と始まると、その時代にもそうでしたが、今も、心がしみじみします。
ちなみに、「風あざみ」という言葉は実は存在していなくて、井上陽水さんの造語のようですね。
井上陽水さんの、淡々と、きれいな発音、そして、鼻に抜けるような美しい声(鼻腔共鳴というそうです)。
しかし、びっくりしたのは、初めは、荻野目洋子さんへの提供曲の、「ギャラリー」のB面を予定していたことです。
それにしても、B面にするには良くできた曲、と井上陽水さん自身が歌う事に。
その時期、藤子不二雄Aさん(安孫子素雄)は、井上陽水さんと飲み友達で、「少年時代」という題名の漫画による映画の企画がありました。
この映画で、井上陽水さんの曲を使いたい、と依頼されます。
ラララ…君と出会い君と笑い♪
と、ハミングを交えて、藤子不二雄Aさんは、自身の詞を渡します。
そして、できあがった曲は、想像以上の出来だったのですが、藤子不二雄Aさんの詞は、まったく使われなかった、というオチがつきます(笑)
それに、20曲くらい、一緒に曲作りをしてきた、音楽プロデューサーの川原伸司さんによると、この歌は、15分くらいでできたのだそうです!
井上陽水さんが、いきなり歌い出して、いいね、という感じでできたのだ、と。
そして、この曲は、1994年以来、中学、高校の音楽の教科書に度々載ることになります。
ユーミンの曲が卒業式で歌われたり、と、いい曲は子供の情操教育にも取り上げられていくのですね。
井上陽水と玉置浩二との関係、出会い
井上陽水さんと玉置浩二さんの関係は、というと、一口で言うと、師弟関係、でしょうか。
安全地帯でデビューする前、安全地帯は井上陽水さんのバックバンドだったのです。
当時まだ、アマチュアバンドだった安全地帯の曲を、井上陽水さんが聞いて、練習場所に現れて、バックをやらないか、と直接誘った、とのこと!
俺の背中をよーく見ておくんだ!、ということでしょうか。
呼吸や歌い方を、いつも見て、感じていた、という玉置浩二さん。
アマチュアを使って、自分の中の面白い部分を出そうとする柔軟性
を感じて、自分の頭の固さがなくなった、と。
そして、安全地帯のデビュー曲、「ワインレッドの心」の作詞を井上陽水さんにお願いし、玉置浩二さんが作曲。
玉置浩二さんのセクシーな歌声、歌い方も当時、びっくりな登場で、一躍大ヒットしました。
玉置浩二さんは、今でも井上陽水さんに会うと、直立不動になるんだそう!
色んな意味でデカくて、優しくて、強い、と語る玉置浩二さん。
いいものは、育てたい、と寄り添った井上陽水さんの優しさ、そして、ビッグなミュージシャンに導いてもらった玉置浩二さんの縁は深くてお互いにありがたいものでしょうね。
玉置浩二さんの情報はこちら↓
井上陽水の本名、年齢、出身地、身長、血液型、実家、兄弟、経歴
井上陽水さんの
本名:井上陽水(いのうえあきみ)
年齢:1948年8月30日生まれ 75歳
出身地:福岡県嘉穂郡幸袋町(飯塚市幸袋) 福岡県田川郡糸田町育ち
身長:180㎝ ずいぶん高身長ですね!
血液型:AB型
学歴:福岡県立西田川高校卒
実家:父、若水が開業医(歯科医院)
兄弟:姉(8歳上)、妹
井上陽水の経歴
・小学校の頃、人の集まりがあると、歌を歌うことがよくあり、当時からうまい!と言われていた。
・年の離れた姉の影響で、洋楽(エルビスプレスリーetc.)を聞くようになる。
・中3のとき、「プリーズプリーズミー」を聞いて、それからビートルズに夢中になる。
・父の歯科医院を継ぐべく、歯科大学を目指すが、3度の受験の失敗。
・1969年(昭和44年)に上京し、音楽ディレクターに見いだされ、「アンドレ・カンドレ」(芸名)としてデビュー。
・フォーク歌手としての扱いに違和感を覚えたり、歌もあまり売れず。
・レコード会社を移籍し、1972年、「人生が二度あれば」、「傘がない」、アルバム「断絶」などで注目を集め始める。
・本名は「陽水」と書いて、「あきみ」だが、そのままの読みの「ようすい」と芸名を変えている。
・1973年9月、「心もよう」が、12月にアルバム「氷の世界」がロングヒットになり、
日本レコード史上初のLP販売100万枚突破
となる。
・アルバム「二色の独楽」のレコードケースには、1974年に結婚した奥さんの写真が載っている。
・テレビ嫌いと言われ、テレビに出演するのは見た事がないです。
・1975年、井上陽水、吉田拓郎、泉谷しげる、小室等の4人で、「フォーライフ・レコード」を設立。
・後に再婚する、石川セリさんと出会う。
・1976年、離婚。
・1977年、大麻所持容疑で逮捕、執行猶予付きの判決を受ける。
・1978年、石川セリと再婚、同年長男が生まれる。
もう一度、井上陽水さんの新しい歌を聞きたいなー、と思います。
若い頃の、情緒豊かな、人とは違う感性での詞が大好きでした。
70歳を越えて、何を表現するのか、見たい、感じたい、と思うのです!
石川セリさんの情報は↓
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