山口百恵と三浦友和の出会い・結婚、現在も夫婦円満!、デビュー曲、代表曲

女性シンガー

山口百恵、三浦友和、と言えば、1970年代の名コンビ!

テレビでのCM共演から、映画「伊豆の踊子」、そして、「赤い」シリーズのドラマ共演。

ほかの異性との共演は考えられないくらいでした。

そして、二人は恋に落ちて、1980年、結婚しましたね。

最初の出会いは?

結婚に至るまでは?

今も仲良く暮らしているようですね‼

また、7年間の歌手生活の中での、ヒット曲も振り返ってみたいと思います。


山口百恵と三浦友和の出会いは、CM?

山口百恵さんは、1973年にホリプロからデビューし、次の年、グリコのCM撮影のために、都内の公園で行なわれました。

この時、百恵ちゃんは15歳。友和さんは21歳。

初々しいですね。

そして、爽やかさ満開!

実は、元々は、百恵ちゃんのこのCMの相手役は、他の人で(誰なのでしょう)、撮影も終わっていたのだけれど、どうも仲良しカップルに見えない。

それで没になり、その頃はまだ認知度が低かったのだけれど、「シークレット部隊」というテレビドラマの中の友和さんに白羽の矢が立ったのです。

友和さんも、実にさわやかですよね。

さわやかカップルのイメージ通りになり、このCMはかなり好評に!

そして、百恵ちゃんの初の映画「伊豆の踊子」の相手役にも決まりました。

そして、ゴールデンコンビ、と呼ばれ、「赤い疑惑」「赤い衝撃」でも二人のコンビで視聴率も高かったのです。

もし、最初の相手とイメージがピッタリだったなら、百恵ちゃんと友和さんは結婚まで至らなかったのでしょうか。

いや、しかし二人は出会ってしまったのです。

これが運命だったのですよね!

ドラマの共演では、ずっと一緒の場にいるわけで、後に友和さんが、仕事の場がデートの場でもあった、という発言をしています。

そして、1979年に、友和さんのマンションから二人が出てくるのをスクープされます。

それで、百恵さんは、コンサートの舞台の上で、交際宣言をしたのです。

「私の好きな人は、三浦友和さんです」と。

そして、友和さんも会見に応じて、結婚を前提にお付き合いをしています、と。

潔く、堂々とした、27歳と20歳の恋人たちです。


山口百恵と三浦友和、結婚はいつ?現在は?

山口百恵さんと三浦友和さんは、1980年3月に婚約発表、10月に引退します。

そうして、11月19日に、港区赤坂の基督教団霊南坂教会にて、結婚式を挙げます。

披露宴は、東京プリンスホテル、鳳凰の間、1800人の招待客!

そして、百恵ちゃんが、父と慕っていた、宇津井健さんご夫妻に仲人をしてもらいます。

華やかで、盛大な披露宴を挙げ、晴れて二人は結婚します。

その後は、宣言通り、引退しますが、作詞家として、作品を提供(アン・ルイス)したりはしていますが、とにかく表には一度も出てきません。

紅白歌合戦に3年連続で、出演交渉もありましたが、一貫として断っています。

引退後は、キルト作家の鷲見玲子さんに師事し、家事の妨げにならない時間にずっとパッチワークキルトを学んできました。

そして、30何年と続けてきて、作品集を出さないか、という打診があり、友和さんが背中を押してくれて、2019年に「時間(とき)の花束」を出版します。

百恵ちゃん、友和さん夫婦は、15年間ずっと「理想の有名人夫婦ランキング」で1位、2020年には殿堂入りします。

それに、三浦友和さんの長年のマネージャーさん曰く、二人は誰も見ていないと必ず腕を組んでいる、と。

2004年の参院選の投票所へは、相合い傘で行った、2017年は一緒にデパートで買い物、友和さんの誕生日には、映画館デートをしていた、というニュースが。

長男の祐太朗さんは、

両親が、僕ら夫婦の手本

との発言をしています。

ずっと仲良し!

これがほかのどんな幸せにも、二人にとっては勝るものなんですね!




山口百恵のデビュー曲

山口百恵さんのデビュー曲は、「としごろ」。

1972年に「スター誕生」というオーディション番組に挑戦し、準優勝、20社からのオファーを受けます。

そして、ホリプロから、翌年の1973年に、映画「としごろ」に出演、同名の曲でデビューしました。

森昌子さんみたいになりたい、と芸能界に入りましたが、同じ中学生歌手でもあり、桜田淳子と共に、「花の中三トリオ」と呼ばれて、人気者に!

年相応な、年頃の女の子の恋心を素直な歌詞に乗せて歌いましたが、それほど売れ行きは振るわず。

当時から、百恵ちゃんには、何とも言えない影が見え、そして目元や厚い唇など、中学生ながらも、色っぽさがありました。

そういう所からか、いたいけな中学生女子に、大胆な恋、性を思わせるようなきわどい歌詞で歌わせる戦力に出るのです。

2曲目の「青い果実」や「ひと夏の経験」などを発表し、大ヒット!

「ひと夏の経験」の歌詞にある、

女の子の一番大切なものをあげるわ

の、一番大切なものって、何だと思いますか?などという質問をどれだけ受けたことでしょうか。

百恵ちゃんは、一貫して、「まごころ」だと答えた、と言います。

何というか、百恵ちゃんの強さに脱帽ですが、切なくなる話です。


山口百恵の代表曲

山口百恵さんの歌手生活は、7年ほどでしたが、出す曲はほとんどが話題に上り、歌詞の内容、設定、などいつも世間を賑わせていましたね。

先ほどの、「青い果実」、「ひと夏の経験」では、青いセクシーさでヒットしました。

その後、1976年に、宇崎竜童・阿木燿子夫妻の曲、「横須賀ストーリー」では新境地を見つけ、すべての曲がヒットしました。

この時、宇崎夫妻に曲を依頼したのは、何と!百恵ちゃん本人だったのです。

これっきり これっきり」の言葉を何回も。

何とも新しい歌の世界ができた気がしたものです。

そして、私が大好きなのは、「プレイバックPart2」。

真っ赤なポルシェを乗りこなし、恋にも強気な大人の女性を演じていました。

この曲も、宇崎夫妻です。

斜に構えて、「馬鹿にしないでよ!」とけんか売るようなインパクトが何ともかっこいいのです。

さだまさしさん提供の「秋桜」も、お嫁に行く娘が母に対しての思いをしっとり、郷愁たっぷりに歌います。

そして、まだまだいっぱいありますが、引退前に歌った「さよならの向こう側」。

ファンに向けての、さよなら、ありがとう、の歌。

そして最後、使っていたマイクを足下に置いて、舞台をはけていく、というドラマティックなパフォーマンスで幕を下ろしました。


山口百恵のwiki情報

山口百恵さんの

年齢:1959年(昭和34年)1月17日生まれ 65歳

出身:東京都渋谷区恵比寿生まれ、神奈川県横須賀市出身

血液型:A型

身長:158㎝

学歴:日出女子学園高校卒

デビューのきっかけ:1972年(昭和47年)に「スター誕生」という、オーディション番組に応募したこと。

この時、牧葉ユミさんの「回転木馬」を歌う。

準優勝するも、20社からのオファーを受けます。

動機としては、既に、中学生歌手として、テレビで人気者だった森昌子さんに、憧れ、あんな風になりたい、と思ったこと。

百恵ちゃんの情報はこちらにも↓

 

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