由紀さおりさんと言うと、「手紙」「夜明けのスキャット」のヒット曲をよくテレビで聞いたものです。
そして、ドリフターズの番組で、コントがとても面白かったのを覚えています。
それに、童謡歌手のお姉さん・安田祥子さんとの美しい歌唱も。
そんな由紀さおりさんは、二度の結婚をされていたようで、子どもさんの事など、まとめてみました。
由紀さおりの元夫は二人!最初の結婚歴は?
由紀さおりさんは、1969年(昭和44年)に、最初の結婚をしています。
23歳の時です。
夫は、大森昭男(CM音楽プロデューサー)さんと言う人。
年齢は、少し離れていて33歳。
由紀さおりさんは、姉の安田祥子さんと、子どもの頃から童謡の歌手として活躍していました。
大森昭男さんとは、仕事現場で知り合っています。
そして、高校(洗足学園第1高校)卒業時にはもう、プロポーズをされていたのだとか!
歌がうまく、美しくて、気品のただよう由紀さおりさんに、ベタ惚れだったんでしょうね。
元々、安田章子という本名で歌っていましたが、曲が売れず、失敗、と思っていました。
それで、心機一転、「由紀さおり」と芸名を変えて、「夜明けのスキャット」が大当たり!
その頃には、もう、結婚を間近に控えていて、あまり乗り気じゃなかったそうです。
そうして、歌が売れると超忙しくなって、夫婦としての時間は少なくなっていきますね。
由紀さおりさんは、歌以外に、タレントや女優の仕事も舞い込んで本人も面白くなってきます。
旦那さんは、昭和の男ですから、妻は家にいて、家庭のことをして欲しい、と思っていたでしょう。
そうして、夫婦としてすれ違いになり、1976年には別居します。
1983年には、正式に離婚。
大森昭男さんは、再婚はなく2018年には病気でご逝去されています。
由紀さおりが再婚した夫は
それから9年後の1992年に、「ジェネシスピュアジャパン」というインターネット会社の社長さんと出会います。
アメリカ在住の柴冨哲也さんという人です。
アメリカに行った時に知り合ったのでしょうね。
そして交際が始まるのです。
と言っても遠距離恋愛。
46歳の時。
自分もアメリカに渡って、一緒になりたい、と思う気持ちはあったのですが…。
お母さんの猛反対にあうのです。
大物実力派歌手・由紀さおりさんの存在は、少女時代からずっと支えてきてくれたお母さんのおかげでもあるので。
お母さんの方を取ってしまったことで、柴冨哲也さんとの間に心の距離も少なからずできたでしょう。
そんな最愛のお母さんが1999年に亡くなって、一周忌も済ませた2000年。
二人は事実婚をします。
しかし、アメリカには渡らず、遠距離結婚というのでしょうか。
由紀さおりさんは、日本での歌の仕事をやめることができなかったのですね。
でも、結局は、2006年には離婚となります。
好きな人ができても、反対していたお母さんがいなくなっても、歌の仕事をやめなかった由紀さおりさん。
プロ意識の高さを感じますね!
由紀さおりは、子どもを出産している?
2度の結婚生活で、由紀さおりさんには、子どもさんは出産していません。
最初の旦那さんとの結婚時には、すれ違いが多くて子どもさんは出来ず。
そして、柴冨哲也さんと知り合う前の37歳の時に、子宮筋腫・子宮内膜症を患うのです。
この病気の治療法は、薬物療法と手術療法があるのですが。
薬物療法である、ホルモン療法を考える事もあったのですが、これは声が変わる可能性があって…。
由紀さおりさんにとって、美しい声は最大の商売道具でもあって、この方法を取ることはさけたのですね。
それで、色々と考えた上で、子宮を摘出する、という手術を選んだのです。
この時、41歳。
これで、病気からは、解放されましたが、子どもを望むことはできなくなったわけなんです。
女性として、かなりの葛藤があったことでしょう。
由紀さおりの国籍・年齢・本名・出身地・身長・血液型
由紀さおりさんの
国籍は、日本で間違いないでしょう。
由紀さおりさんは、韓国籍なのでは?という噂をよく見かけます。
でも、由紀さおりさんも、姉の安田祥子さんも、群馬県の桐生市の出身で日本の人です。
では、何でこういう噂になっているのか…。
それは、由紀さおりさんが、朝鮮人の顔立ちによく似ているから、という事のようですね。
特に若い頃は、韓国の美人歌手や俳優さんのようなので、そんな風に言われたのでしょうか。
あるサイトには、両親は韓国人で、帰化している、とあったのですが…。
他には見当たらず、信用できる情報なのか、わかりません。
年齢:1946年(昭和21年)11月13日の生まれで 77歳
出身地:群馬県桐生市
1949年(3歳)に、神奈川県横浜市に引っ越します。
本名:安田章子(やすだあきこ)
身長:156㎝
血液型:A型
由紀さおりは姉・安田祥子(さちこ)と童謡が話題に、現在は?
由紀さおりさんは、少女の時代から、ひばり児童合唱団に入りました。
そして、童謡の歌手活躍を姉妹で一緒に頑張っていたのですね。
由紀さおりさんは、テレビなどで歌手の仕事、コントや女優をやっていましたが。
安田祥子さんは、東京芸術大学の大学院を卒業して、18年間講師を続けていました。
そして、1982年には、お姉さんが由紀さおりさんのコンサートに参加することに。
これがきっかけで、童謡コンサートを二人で1986年から始めて、これは海外でも話題になります。
そうして、2006年には、コンサートも2000回を越えることに!
姉妹のデュエットでの紅白歌合戦へは、1989年から2001年まで、10回の出場を重ねます。
正統派の発声をする安田祥子さんの美声、そして甘さのある美しい声の由紀さおりさん。
どんな歌でも、うっとりしてしまいます。
私が一番好きなのは、スキャット(人の声の擬音を使った演奏)での「トルコ行進曲」です。
けっこう早口になるので、気を抜けないでしょう。
この二人での活動は、ずっと続けていて、
2024年には「由紀さおり・安田祥子 with松阪ゆうき 童謡コンサート」を開催しています。
由紀さおりの代表曲は「手紙」「夜明けのスキャット」
由紀さおりさんの代表曲として、「手紙」と「夜明けのスキャット」があります。
「手紙」は、1970年に発表されて、レコード大賞では、歌唱賞を受賞しました。
歌い出しの
“死んでもあなたと暮らしていたいと”
と言うのが、それまでになかった歌詞でちょっとびっくりしました。
全体を通して、美しい曲で、昭和の歌だけれど、今も古い気はしない、いい曲です。
時代はさかのぼりますが、「夜明けのスキャット」は1969年の曲です。
それまでの歌謡曲にはスキャットというのはなくて、”ル~ル~ルルル~”や”ラララ~”などの擬音での曲。
歌詞の1番は、ずっと擬音語で、2番には歌詞がありました。
メロディーも良かったし、スキャットで歌う由紀さおりさんの美声が素晴らしいからこそのヒットですね。
それに、何だか、とてもいやされる曲です。
それまでは、本名の「安田章子」から、「由紀さおり」に改名して初の曲でした。
海外でも評価されていましたね。
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