1980年代から90年代まで、13年間、5人のガールズロックバンド、という異色なグループが現れ、注目したものです。
プリンセスプリンセス、というグループ名も、当時はインパクトがありましたね。
「M」、「Diamonds(ダイヤモンド)」、「世界でいちばん熱い夏」など、今も誰かがどこかでカラオケで歌っていますよね。
色あせないんですね!
先日、昭和時代の懐メロ的なテレビ番組で久々に見て、あー、懐かしい!と思いました。
改めて、メンバーのプロフィールも交えて、解散した理由など、調べてまとめてみました。
プリンセスプリンセスのメンバーの現在は?皆、健在!亡くなったメンバーはいない!
プリプリのメンバーも、解散してそれぞれに活動していますが、あまり見かけなくなると、「死亡説」がちらちら出てきますね。
でも、メンバーは、今もみんな健在、というか元気、元気!です。
岸谷香
解散後は、少し休養の後、ソロ活動を。
2001年出産までは、奥居香を名乗っていたが、この年から岸谷香に改める。
子育て優先ながらも、活動は続け、「準備体操ライブ~さびないようにね!~」も、パート1~6まで続け、その後本格始動。
2012年、震災復興支援のため、1年限定で、プリプリ再結成。
2017年、バンド「Unlock the girls」を結成。
中山加奈子
解散前から、ソロ活動はしていて、解散後もアルバムを出している。
V6など、多くのアーティストに楽曲を提供。
2019年には、ソロアルバムを出す。
今も、「VooDoo Hawaiians」というバンドで、ボーカルをしている。
渡辺敦子
解散後から、東京スクールオブミュージック&ダンス専門学校の副校長。
2021年には、校長に。
子供たちの育成に努めています。
今野登茂子
解散後は、お昼の情報番組でキャスターをしていたことも。
プリプリ時代の、1992年に突発性難聴を患い、それからは、右耳が聞こえない。
再結成時も、悩んだそう。
今は、プリプリ時代よりも痩せていて、心配する声も。
富田京子
2020年、歌手で乳がん経験者の麻倉未稀さんと、NPO法人「あいおぷらす」を立ち上げた。
がん検診率の向上や、患者の支援などを行なっている。
身近な人をがんで亡くしていて、啓発の必要さがとくわかったから、だそうですが、実行に移す行動力や愛には、脱帽です。
次男とは一緒にライブに行ったりする。
みなさん、それぞれに前向きに生きてきていますね。
プリプリでいた13年を糧にして、宝にしているから今も明るい50代を楽しんでいるのでしょうね。
プリンセスプリンセスの解散の理由は?
プリプリの解散は、1996年5月31日。
でも、1994年から、今野登茂子がソロデビューし、そこからそれぞれソロデビューすることに。
元々、歌や楽器のできる少女たちだったし、美女募集のオーディションに応募してきたメンバーたち。
だんだんと、自分の可能性を試してみたくもなりますね。
1995年から解散の話が持ち上がっていたのです。
それは、プリプリの中で、新しいことをやってみたい派と、プリプリのイメージ路線で、という意見に分かれてしまったのですね。
分かれてしまったのだから、友達のままで、解散しよう、という意見が尊重されたのですね。
解散は、前年の10月のミュージックステーションで、発表。
人気も、売り上げもマックスだった時の解散なだけに、様々な憶測が飛んだようですね。
みんなそれぞれに、ソロでやっていけるクオリティの人たちだったので、仕方ないことだったのでしょう。
簡単に言っちゃうと、人間関係を選んだ
と、岸谷香さんは言っていたのが、けっこう、深いなー、と思いました。
確かに、解散後、それぞれに結婚したり、子育てに手を取られたりしながらも、ステージに呼んだり、呼ばれたりしています。
2021年の、1年限定のプリプリ復活で、また関係性は、良くなったんじゃないでしょうか!
プリンセスプリンセスは』仲が悪かったの?
前述したように、プリプリ内では、仲違い、と言うことは、おそらくはなさそうですね。
「仲が悪い」という言葉で思い当たるのは、プリプリと、女優の加賀まりこさんのことではないのでしょうか。
1989年、「夜のヒットスタジオ」の司会が、古舘伊知郎と、加賀まりこのお二人でした。
加賀まりこさんは、当時46歳、毒舌熟女、というスタイルでした。(意識をしていたか否かは分かりませんが)
松田聖子と、奥居香も交えてのちょっとしたトーク中で、奥居香に対して、きったない格好、だとか、ブタ、あんたたち生理中なんじゃないの、など。
こういう発言があった、という伝説がありますね。
確かに、他のメンバーも、こわい顔つきになっている画像が残っています。
ここまで本当に言ったなら、ひどい話ですよね。
でも、奥居香はその日の夜のラジオ番組で、
あのおばさん嫌い。感じ悪い。
と発言。
これは、もう、今ならアウトですね。
古舘伊知郎さんも困っていたことでしょう。
そして、その翌年、「夜のヒットスタジオ」は幕を閉じたので、このキャストがいけなかったみたいに言われていたのでしょう。
とんだとばっちりでしたね。
プリンセスプリンセスのメンバー、岸谷香(旧姓奥居)
年齢:1967年2月17日生まれ 57歳
出身:広島県広島市
身長:157㎝
血液型:O型
愛称:かおりちゃん、かおり
担当:ボーカル、ギター
その他:1996年、解散直後に、俳優の岸谷五朗と結婚。
2001年に男児、2003年に女児を出産。
料理が上手(旦那さん談)
プリプリの曲の作曲、また他のアーティストにも楽曲提供をしている。
深くて愛らしいえくぼと、安定した歌唱、伸びのある声が魅力的な、可愛い人でした。
プリンセスプリンセスのメンバー、中山加奈子
年齢:1964年11月2日 58歳
出身:京都府京都市、中学時は、引っ越していて横浜市
身長:156㎝
血液型:B型
愛称:かなちゃん、ケラマン
担当:ギター、コーラス
その他:2004年2月結婚。
宝塚音楽学校に行きたい、と思っていたことも。
ギターは高校時代から。
最初はフォークに憧れて、作詞などしていたが、男子のロックバンドを見てから、ロックが好きに。
アバンギャルドな髪型や、お化粧、衣装、かっこよかったです!
プリプリの中では、一番ロッカーだな、という感じがしていました。
プリンセスプリンセスのリーダー、渡辺敦子
年齢:1964年10月26日生まれ 60歳
出身:熊本県水俣市
身長:163㎝
血液型:B型
愛称:あっこちゃん
担当:ベース、コーラス
その他:みんなの中で、落ち着いていて、マネージャーに間違えられたこともあり、自然と最初からリーダーに。
中学で初めて組んだバンドでは、キーボードをやっていたが、そのうちベースに魅せられる。
ベースをやる女子はあまりいなかったので、男子がいるバンドなど、5つのバンドを掛け持ちしていたことも。
長い髪を、ライオンのたてがみのように逆立てた、挑戦的なヘアスタイルが印象的でしたね。
プリンセスプリンセスのメンバー、今野登茂子(こんのともこ)
年齢:1965年7月15日生まれ 59歳
出身:埼玉県浦和市(現、さいたま市)
身長:164㎝
血液型:O型
愛称:ともちゃん、パン
担当:キーボード、コーラス
その他:解散後、すぐに結婚したが、その後離婚。
再婚相手は、映画監督、俳優の利重剛と再婚。義母は脚本家の長内美江子。
一児の母。
イラストが得意。
ガーデニングが趣味。
作曲家で、映画などに楽曲提供をしている。
目が大きく、上品なきれいな顔立ちの人。
プリンセスプリンセスのメンバー、富田京子
年齢:1965年6月2日生まれ 58歳
出身:神奈川県横浜市戸塚区
身長:156㎝
血液型:B型
愛称:きょんちゃん
担当:ドラムス、コーラス
その他:作詞を数多く提供していた。
中学生時代、吹奏楽部で打楽器を担当したことが、ドラマーにつながる。
「M」「世界でいちばん熱い夏」の作詞家。
解散後、一般男性と結婚。
男の子2人の母。
目が大きくかわいい人。
全身を使って、激しく力強いドラムスタイルでした。
プリンセスプリンセスのヒット曲、「M」「Diamonds」「世界でいちばん熱い夏」
プリプリの大ヒット曲、
「M」
富田京子さんの作詞。
富田京子の元カレの「M」との恋と別れを詞にし、奥居香さんが作曲したもの。
イントロを聴いただけで、ああー・・・!となります。
奥居香さんのちょっと可愛めの伸びのある声。
星が森に還るように
のところが、切ない。
「Diamonds」
こんなに楽しくなっちゃう歌は、なかなかないってくらいの曲。
思わず、リズムをとってしまう。
作詞は、中山加奈子、作曲は奥居香。
楽しくなるんだけれど、はかなさに切なくなってしまう曲。
「世界でいちばん熱い夏」
作詞・富田京子、作曲・奥居香。
軽快な疾走感。
夏の歌の中でも、完成度が高い‼
あとがき:プリプリは、1983年、「TDKレディスバンドオーディション」に合格したガールズ5人。
応募条件は
応募条件は15歳から18歳の容姿端麗な女性
そうか、だからみんな可愛くて、きれいで、かっこよかったんだ、と再認識。
友達同士ではなかったものの、よく活躍しましたね。
もう、あんなにかっこいいガールズバンドは出てこない、なんて言われていますね。
あの曲たちを歌いたくなってきました!
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