角松敏生は、ミュージシャン、作曲、編曲家、で、シンガーソングライターです。
80年代から活躍し出して、ポップやロック、R&B、ジャズなどの要素を加えた、独自の新しい名曲を生み出してきました。
長髪で、なかなかのイケメンです。
角松敏生さんには、今の奥さんとの間に娘さんがいるとか?
また、そんな角松敏生さんに、事故の噂が・・・?
そして、今もライブ活動を精力的にやっている角松敏生さん。
順を追って見ていきましょう!
角松敏生の娘は何歳で名前は?今嫁の子?離婚歴があるの?
角松敏生さんは、1989年9月に、4年の交際を経て、JALのCA(キャビンアテンダント)と結婚されていますが、1991年に離婚。
その後、2008年に、関西出身の女性と再婚。(西川史子似らしい)
この人は、ANAのCAなんだとか・・・。
なんでも、角松敏生さんは、CA好きなのだそう。
美形で、賢い、語学も堪能な女性が好きなのですね。
この奥さんとの間に、娘さんがいます。
2011年生まれなので、角松敏生さんが、51歳の時のお子さんですね。
それはそれは、可愛がっていることでしょうね。
娘さんですし、名前や、もちろん画像なども公表されていません。
でも、仕事仲間が、一時、自身のウェブ上で、家族の画像など、自由に載せていたそうです。
おそらく、昭和の中期の生まれの方たちなのでしょう。
そういう危機感とか、わからない世代ではありますね。
自分もやっていて、子どもに怒られたことがあるのです・・・。
ネットのこわさもよくわからず、挙げていたのでしょうが、あるときから削除されたそうで。
指摘されたのでしょう。
このこともあって、個人的な情報を控えているのでしょうね。
50代になってから、授かった子供さんですし、目を細めていることでしょうね。
角松敏生は事故にあっていた?
角松敏生さんの事を調べると、「事故」というワードが出てきます。
しかしながら、角松敏生さん自身が、事故に遭った、とか事故を起こした、とかいうことではなさそうなのです。
よく考えてみると、1985年(昭和60年)の日航機墜落事故につながってくるのですね。
ちょうど、その1985年、秋にリリース予定の「T’s BALLAD」のレコーディング中、この事故のニュースが入ります。
本当に、悲惨な事故でした。
角松敏生さんは、無類のCA好きでもあり、恋愛対象になった女性も多かったのでしょう。
客室乗務員や、空港を舞台にした作品も多かった角松敏生さんは、これを、見過ごすことができなかったのか、急遽、追加で曲を書き上げます。
タイトルに「Dedicated to the stewardesses of JAL 123」というクレジットをつけます。
つまり、このアルバム自体が、追悼、というコンセプトになるのですね。
そして、命を落とした乗務員(当時はスチュワーデスと言っていましたよ)への「Song for You」という曲も。
また、「RAMP IN」という曲は、スチュワーデスが、愛する男性を思う気持ちが書かれているのです。
これもランプインできなかったスチュワーデスの思い、などとなって、特別な曲になりました。
なので、日航機墜落事故の時に、レコーディング中で、これが結果として、追悼アルバムになった、ということですね。
角松敏生のwiki、実家、自宅
角松敏生(かどまつとしき)さんの
年齢:1960年(昭和35年)8月12日生まれ 64歳
出身:東京都渋谷区代々木
身長:169㎝
血液型:A型
高校、大学:日本大学鶴ヶ丘高校、日本大学文理学部哲学科卒業
別名:長万部太郎(おしゃまんべたろう)・・・ 都会的な角松敏生さんに似合わない別名ですね。
自宅:武蔵野エリアに白亜の建物、プライベートスタジオがある。(2011年くらいに建てる)
自宅に、自身のスタジオがある、というのは、自分の思うように設計されていて、出かけていかなくてもいいし、結構うらやましがられていることでしょうね。
角松敏生の父親、影響
父親:放送関係の仕事をしていた、ポップスが好きな人。
角松敏生さんは、小さい頃から、ピアノやオルガンを、ほぼ強制的に習わされていました。
母親は、父の影響で、ポップスに興味を持つことを、快く思わなかったようで、クラシックをよく聴かされていたのだそうです。
それでも角松敏生さんは、ポップスに興味津々、小学生の時、バート・バカラックの「雨に濡れても」に魅了されます。
その後は、ビートルズ!
この頃の、音楽好きの少年は、みんながみんな通る道です。
そして、8歳年上の兄に、ギターを教えてもらい、自分でも関連雑誌を買って、練習していました。
角松敏生さんは、元々、ぜんそくの持病があり、昔から痩せてもいたので、いじめられたりしていました。
しかし、ギターの腕を披露すると、まわりの見る目も変わり、いじめられることも、なくなったのだそうです。
自分の好きなことで、自分の努力で得た腕で、軽く見られていたのが、尊敬、羨望の対象になるなんて!
人の心のひとつの仕組みを知ったことでしょう。
本人も、自分を誇りに思えたでしょうね。
角松敏生、活動凍結時期が?
角松敏生さんは、1993/1/27に、日本武道館のライブを最後に、活動を凍結することに。
それから5年後、1998/5/18、また同じく、日本武道館に活動再開として姿を現わします。
これは、音楽業界への絶望や自身の活動、パフォーマンスの行き詰まりなども理由にあげています。
「凍結」という言葉を使っているのは、いつまで休止するのか、融解するのか、まったくわからない、という思いが込められているようですね。
それに加えて、もっと個人的な女性関係の問題もあったという人もいます。
既婚だった角松敏生さんでしたが、他に愛する女性がいた、と。
それ、絶対ダメな話ですが・・・。
当時、ファンクラブの会報にこの事実の、角松敏生さんのメッセージが載せられていたそうです。
角松敏生さんは、自分に正直、嘘がつけない、作品も自分が思ったことしか書けない、と言っています。
しかし、会報にまで、こんな風に自分の気持ちを書いたとは・・・。
結局、その思いは叶わず、当然奥さんとも、離婚。
正直で、多情な角松敏生さんの苦悩が、いっぱいいっぱいになっての凍結だったのですね。
角松敏生(長万部太郎)の、「WAになっておどろう」
しかし、その間、全く音楽をやっていなかった訳ではなかったようで。
1997年、「WAになっておどろう」という曲が、NHK『みんなのうた』の4月5月のうたになって登場します。
作詞作曲は、「長万部太郎」。
角松敏生さんのことです。
「AGHARTA(アガルタ)」というバンドでシングルCDをリリースし、同年7月には、V6がCD発売。
私は、V6の歌で知っていましたが、この曲が角松敏生さんの、いや、長万部太郎さんの曲だとは、知りませんでした。
また、1998年の長野オリンピックでは、公式キャタクターのスノーレッツのテーマソングになります。
広がりを感じる、優しい歌ですね♪
角松敏生の現在、ライブ2023の予定は?
角松敏生さんは、2023年も精力的にライブ活動をされています。
「TOSHIKI KADOMATU PERFORMANCE 2023」、「THE DANCE LIFE Ⅱ」と銘打って、5/13埼玉を皮切りに、7/31大阪まで、各地を回ったのですね。
もう、9月の神奈川、東京のライブもチケットの販売をしているようです。
60歳を超えても、こんなにパワフルなライブができるのも、普段からの健康管理もですし、愛娘さんの存在も大きいでしょう。
これからも、セクシーで、パワフルなステージを見ることを、楽しみにしている人たちがいっぱいいるので、頑張ってほしいですね‼
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