今は昔、1975年にデビューし、わずか3年ほどで解散した、シュガー・ベイブ。
解散の理由は何だったのでしょう。
後に、山下達郎や、大貫妙子の活躍で、知名度が上がり、幻のスーパーグループとも呼ばれたシュガー・ベイブ。
メンバーは何人で、どんな人たちだったのでしょう。
70年代安保など、時代が大きく動いていた時に生まれたグループ。
一時は埋もれていた彼らの曲も時代が追いついてきて、日の目を見たのです。
と言うより、絶賛されるのです。
大瀧詠一さんとの関わりもあるようですね。
シュガー・ベイブとは、どのようにして生まれたグループで、どんな曲があるのでしょうか。
この時代のこと、自分の頭の中も少し整理したくて調べてみたんです。
シュガー・ベイブとは?
シュガー・ベイブの結成は、山下達郎さんが当時大学生で20歳の時。
四谷のロック喫茶で知り合った友人、仲間たちがことのはじまりです。
その頃、当時の大貫妙子さんを何らかの形でデビューさせようという流れがありました。
それで、バンドを作ろう、と声かけしてできたバンドなのです。
大貫妙子さんは、当時19歳。
山下達郎さんは、元々コーラスが好きでした。
そして、女性がバンドにいたら、音楽の幅も広がるな、と思ったそうです。
山下達郎さんのコーラスが入ると、いっぺんに雰囲気がおしゃれになりましたね。
そして、ドラム、ベース、ギターも、声かけし、バンドが成立するのです。
そのロック喫茶には、本当に色んな音楽好きの、しかも様々な楽器を演奏できる人たちが集まっていたんですね。
山下達郎さんの顔の広さや、リーダーシップの大きさが物語っているのでしょう。
シュガー・ベイブの解散理由は?
一番気になるのは、短い活動期間ですよね。
何で、解散したのか?
と言うのも、70年代中盤の時代、当時は日本の音楽は、歌謡曲、昭和歌謡の時代。
グループサウンズ人気も過ぎて、ギター一本で歌うフォークソングが人気になってきている。
そんな時代でもあり、レコードも売れなく、世間にあまり受け入れられなかったのですね。
ちゃんとしたライブも、なかったと、後に山下達郎さんは言っています。
あと言われているのが、それぞれの音楽性の違い。
2020年に、大貫妙子さんは、語っています。
「シュガー・ベイブは、山下君のバンドなので、私の好きなものではなかった」と。
しかし、一番の理由は、経済的なことのようですね。
生活が成り立たなかった、というのが一番の理由なのでしょう。
1976年、当時のドラマーが辞めて、代わりの人がいなくなったのです。
それで、山下達郎さんが解散、と言われたとのことです。
お金が稼げないから、夢を持ってバンドを始めたけど、諦めた。
そういうミュージシャンは、ゴマンといたことでしょうね。
シュガー・ベイブのメンバーは?
●1973年、結成時のメンバー (1973年~1975年4月まで)
山下達郎・・・ボーカル、ギター、キーボード、コーラス
大貫妙子・・・ボーカル、キーボード、コーラス
村松邦男・・・ボーカル、ギター、コーラス (山下達郎さんの友人)
鰐川己久男・・・ベース (山下達郎さんの友人)
野口明彦・・・ドラムス (カメラマンを目指していた)
●1975年4月に、鰐川、野口、が抜けて
伊藤銀次・・・ギター
寺尾次郎・・・ベース、コーラス
上原 裕・・・ドラムス
1975年6月~1976年4月には、伊藤銀次さんが抜けます。
後に、山下達郎さんが、この頃は、ミュージシャンを目指しているわけではなかった人たちばかりだったと。
逆に、ミュージシャンを最初から目指している人にはない発想があった、と言われています。
なるほど・・・。
余計な欲がなく、純粋に曲作りをしていた、と言うことなのでしょうね。
それが、その後の再評価を生むのでしょう。
シュガー・ベイブと大瀧詠一との関係は?
さて、山下達郎さんは、大学(明治大学)に入る頃、バンド仲間と自主制作のレコードを作ります。
片面は、山下達郎さんの大好きなビーチボーイズのコピーだったそうです。
これが、当時、「はっぴいえんど」を解散した頃の、大瀧詠一さんの目にとまるのです。
その縁で、大瀧詠一さんプロデュースの、伊藤銀次さんの「ココナツ・バンク」というアルバムのコーラスを担当することになります。
コーラスというと、山下達郎さん、お得意の分野ですね。
このことがきっかけで山下達郎さんと大瀧詠一さんは、仲良くなります。
お互いに、一人っ子だったので、兄弟のようになったそうです。
そして、山下達郎さんがシュガー・ベイブを結成したときの4こと。
大瀧詠一さんご自身の立ち上げたレーベル「ナイアガラ」で、初アルバムの「SONGS」をリリースするのです。
後の日本の音楽界に名を残す人たちが、このあたりで、もうつながってきいるのですね。
あるラジオ番組で、山下達郎さんは、言っています。
大瀧詠一さん率いる「はっぴいえんど」は、日本のフォーク、ロック界の、第一世代。
そして、第二世代はご自分や、ユーミン、中島みゆきとか・・・と。
大瀧詠一さんという人は、シンガーソングライターとして、作詞、作曲、編曲もされる人です。
でも、それだけではなく、自分でレーベルを立ち上げた人。
無名だけれど、才能を感じ取る人を見つけ出す才覚さえも、持ち合わせている。
類い稀なアーティストなのですね。
シュガー・ベイブの名曲、アルバム「SONGS」
シュガー・ベイブは、1975年に、アルバム「SONGS」と、シングル「DOWN TOWN/いつも通り」を発売しています。
発売当時は、セールスは低迷していました。
しかし、発売当初から40周年を過ぎてもアルバム「SONGS」は、一度も廃盤になっていません‼
これは、日々、年々、たくさんの曲が生まれ、発表されていく中で、こんな現象は本当に、もう、まれなことですよね。
先述の第二世代の人たちが、ニューミュージックと呼ばれ、その後、Jポップと言われるようになり、「SONGS」の評価が上がっていきます。
1994年に再発売、次に2005年には「30th Anniversary Ultimate Edition」(30周年記念盤)として、大瀧詠一さんが再々発売。
そして、2015年に40周年を迎え、山下達郎さんが「40th Anniversary Ultimate Edition」を再々々発売。
と言うのも、2013年に、大瀧詠一さんが亡くなられたので。
もし、ご生存なら40周年に再発売を手掛けてくれただろう、と考えたためだそうです。
大瀧詠一さんの意思を引き継いだ、ということですね。
今聞いても、新しさを、かっこよさを感じさせてくれる希有な曲たちです。
日本のポップスの原点と言われる彼らの音楽が、1970年代に生まれていただなんて‼
シュガー・ベイブの名前の由来は?
シュガー・ベイブという名前をつけたのは、山下達郎さんです。
山下達郎さんは、アメリカのフォークロックバンドの「ヤングブラッズ」が好きだったのです。
このバンドは、1960年代から1970年代まで活躍していました。
このグループみたいなスタンスで活動できたらいいな、と思っていたそうです。
そして、彼らの曲の中にある、「シュガー・ベイブ」をバンド名にしたのです。
その時の話で、バンド名を考えようという宿題をメンバーみんなに出されていました。
当時、マネージャーの、長門芳郎さんが、「砂丘」という映画を見ていました。
その中で、車が砂漠を走るシーンがあります。
ここで、ヤングブラッズの「シュガー・ベイブ」という曲が流れて、これがいい、と思ったそうです。
同じ名前を、同じ時期に考えていたという、偶然!
こんなこと、普通ありえないですよね。
ちなみに、my sugar babeの意味自体は、私の大切な人、ということのようです。
日本の音楽シーンに多大な影響力を与えたバンド、シュガー・ベイブ。
若い人たちにも好きな人がいるでしょうが、ずっと語り継がれるレジェンドであり続ける事でしょう‼
シュガーベイブのメンバーの記事はこちら↓
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