もんたよしのりの嫁、息子、娘など家族構成・病気だった?死因は?代表曲「ダンシングオールナイト」

グループ

1980年、ぶっ飛んだバンドが現れました。

ボーカルの独特のハスキーボイス、一度聞いたら忘れられないインパクト。

それが、もんた&ブラザーズ、「ダンシングオールナイト」でした。

これが急速でヒットして、レコード大賞、有線大賞など獲得し、その年の紅白歌合戦に出場。

今年、72歳になった、ボーカルのもんたよしのりさんが、10月18日に、亡くなりました・・・。

9月26日のNHKの歌コンで見たところよー、とびっくりでした。

一世を風靡した、もんたよしのりさんの家族、軌跡を振り返ってみたいと思います。

そして、改めてプロフィールも交えて見てみました。



もんたよしのりの嫁は?

もんたよしのりさんの嫁は、元田恭子さんといいます。

一般女性で、1982年に結婚されました。

目鼻立ちのはっきりした、きれいな女性です。

奥さんとのなれそめや、結婚秘話的な情報はほとんどなく、ここはちゃんと、もんたよしのりさんは、情報を遮断していたのでしょう。

ただ、夫である、もんたよしのりさんが亡くなったことで、もんたよしのりさんの公式ブログにて、

「あまりにも突然のご報告となりますが、10月18日朝、もんたよしのりは大動脈解離で永眠いたしました。

72年の生涯でした。本人の希望通り親族のみでの葬儀を執り行い、とても穏やかな顔で旅立ちました」

と報告をしています。

奥さんである門田恭子さんは、所属事務所で、マネージャーを務めていたのですね。

まさか、こんな若さで、このような報告をすることになるなんて、思ってもみなかったことでしょう・・。


もんたよしのりの息子は?、娘は元歌手

もんたよしのりさんは、奥さんと、娘の「門田こむぎさん」の3人家族でした。

ネット上では、「息子」、というワードもありますが、息子さんは、もんたよしのりさんにはいません。

門田こむぎさんは、1983年4月23日生まれで、今年は40歳ですね。

安室奈美恵さんの大ファン。

こむぎさんは、高校生の頃、大阪のダンススクールに所属していて、ここで4人のガールズグループの一員になります。

「COLOR」というグループです。

Buzzyの前身であるグループですね。

しかし、その後、関西大学に進学することになり、脱退します。

大学卒業後は、社交ダンサーであり、インストラクターもやっています。

社交ダンスでは、大会での優勝経験も。

こむぎさんは、もんたよしのりさんのことを、「もんちゃん」と、もんたよしのりさんは「むーたん」と呼んでいて、ずいぶん仲良しでした。

そんなこむぎさんは、もんたよしのりさんの訃報に際して、コメントを発表しています。

よく一緒に遊んでもらったこと、近所の子供たちが遊びに誘いに訪ねていたこと。

遊ぶ時は、本気モードだったこと。

そして、遊びながら、鍛えられたこと、バックパックひとつでよく海外や色んなところに旅に出ていたことも。

「自由でいるには自分で責任が取れなければいけない」

という信条もこむぎさんには染みついているようです。

また、チャリティーコンサートをしていたやさしさ、

大好きなもんちゃんの娘に生まれたことを誇りに思います

と語っています。

近所の子供たちが遊ぼう、と誘いに来るなんて・・・、真剣に遊んでくれるから、心底慕っていたのでしょうね。

もんたよしのりさんの、人となりがよくわかるエピソードですね。


もんたよしのりに病気だったの?死因は、大動脈解離

もんたよしのりさんに、既往症があったのか、というと、特にこれといった病気や入院歴があったわけではないようなんです。

2023年10月18日、もんたよしのりさんは、亡くなりました。

急逝の原因は、大動脈解離、だったのですね。

大動脈解離、というと、今年でも、笑福亭笑瓶さんがこの病気で急死されましたね。

過去には、加藤茶さんや、石原裕次郎さんは、生還されていますが、俳優の藤田まことさん、阿藤快さん、大瀧詠一さんは亡くなりました。

大動脈解離、というとほとんどは前兆もなく、突然に背中や胸に激しい痛みが走るのだそうです。

原因は、

高血圧、動脈硬化、ストレス、喫煙、糖尿病、高脂血症、睡眠時無呼吸症、遺伝など様々

のようですね。

罹患者の3分の2は、高血圧症らしく、もんたよしのりさんも、年齢的にそうだったかもしれませんね。

突然、大阪府箕面市の自宅で倒れ、搬送先の病院で、死亡された、とのこと。

今年、2023年は、10月に入って、谷村新司さん(74歳)、財津一郎さん(89歳)、と相次いで亡くなった、との報道でしたが。

18日には、もんたよしのりさんも・・・。

70歳代に入ったところ、まだまだ私たちに歌を聞かせてほしかったのに・・・。

残念でなりません。


もんたよしのりの生年月日、本名、出身地、血液型、身長、自宅

もんたよしのりさんの

生年月日:1951年(昭和26年)1月8日生まれ  2023年10月18日没(72歳)

本名:門田頼命(かどたよしのり)

出身地:兵庫県神戸市東灘区

血液型:A型

身長:165㎝

自宅:大阪府箕面市

高校:報徳学園高校中退

中学、高校と、ハンドボール部。

高校では、ハンドボール部に在籍しながら、歌うことが好きで、R&B、ソウルを歌っていた。

1971年、ソロで、メジャーデビュー。「この足の鎖をひきちぎりたい」は、鳴かず飛ばず。

一度、実家へ帰り、家業の布団屋さんを手伝う。

1977年、北島音楽事務所(北島三郎のマネージメント)へ。

2年くらいは、曲を書きためなさい、と言われ、何百と作った。

1980年、バンドメンバーを募集して、「もんた&ブラザーズ」として、「ダンシングオールナイト」が大ヒット!

同年、レコード大賞金賞、有線放送大賞を受賞、紅白歌合戦に出場。

オリコン10週連続1位、累計売り上げ200万枚、80年代、最大のヒット曲と言われる。

レコード大賞の時だったか、会場に、もんたよしのりさんのお母さんが来ていらして、「おかん」と呼んでいたのが、笑えて印象的でした。


もんたよしのりのハスキーボイスは意図的に?

もんたよしのりさんの声は、独特のハスキーボイスでしたが、これは意図的に作ったもの、というのは、当時からよく知られていました。

元々は、細い声で、高音がよく出たそうです。

声帯が弱めで、毎晩歌っていると、「ぶっとい声に変わってきた」のだそう。

もんたよしのりさんは、R&Bが好きで、こういう歌を歌うことを目指していたので、ハスキーボイスに憧れがあったのでしょうね。

高校生の時、近くの、芦屋の海に行って、大声でシャウトして、喉をつぶそうとしていました。

ヘタをすれば、歌えなくなるかもしれないのに・・・。

でも、これでいい感じのハスキーボイスになったことで、もんたよしのりさんのちょっとこわい意図は成功したのですね。


もんた&ブラザーズの代表曲は「ダンシングオールナイト」

もんたよしのりさんの代表曲、というと、文句なしで、「ダンシングオールナイト」ですね。

80年代に入って、それまでとは違う雰囲気のバンドが現れた、と思ったら、ボーカルは、超ハスキーボイス。

R&Bの世界観は、当時は初めて耳にした気がして、釘付けになりました。

ハスキーながらも、結構な高音もシャウトするように出ていて、「こんな世界、どや‼?」って感じで登場しました。

やんちゃそうに見えた、もんたよしのりさん、かっこよかったです。

もんた&ブラザーズのメンバーは、

豊島修一(ギター)、高橋誠(ギター)、

林政弘(キーボード)、渡辺茂(ベース)、

ブレイシー・マーティン・キース(ドラム)の面々です。

1984年に解散、2007年に再結成しています。

メンバーは、今、心にポッカリと穴があいているのでしょう。


もんたよしのりの「ギャランドゥ」「夏女ソニア」

もんたよしのりさんの作詞作曲で、デュエットや提供曲でもヒット曲があります。

1983年、大橋純子さんとのデュエットで、「夏女ソニア」。

コーセー化粧品のキャンペーンソングにもなり、ヒット。

 

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そして、なんと言っても、西城秀樹さんの歌った「ギャランドゥ」‼

これも、もんたよしのりさん、作詞作曲の作品なんですね。

もんたよしのりさんと、西城秀樹さんが、意見をぶつけ合って、徹夜で仕上げた曲なんですって!

これは、本家のもんたよしのりが歌っても、きっとヒットしたでしょうに。

けれど、西城秀樹さんは、この「ギャランドゥ」で、レコード大賞金賞を6年目連続で受賞。

爆発的なエネルギーが、作品にも、歌い手の西城秀樹さんにもありましたね。


もんたよしのり、NHKの歌コンで

もんたよしのりさんの亡くなったのは、10月18日ですが、去る9月26日に、NHKの歌コンに生出演していたのを、見ていました。

ダンシングオールナイト」を72歳のもんたよしのりさんが歌うのを聞いて、声、衰えてないなー、などと思っていました。

そして、その後、歌手の新浜レオンさんと、「ギャランドゥ」を二人で熱唱!

この時の様子を、ある音楽関係者は

もんたさんはやっぱり昭和の大スターだなって感じでした。

『うたコン』のリハーサルをちらっと見ていましたが、ステージではバンドの音を入念にチェック。

指示する一言一言に、いい意味で緊張感が生まれていましたし、良いものを作りたいという思いがひしひしと伝わってきた

と語っています。

でも、ステージを離れると、気さくな人だったけど、やはりオーラが凄かったそうです。

あぁ、一世を風靡した昭和のスターがまた旅立ってしまいました。

寂しいことですが、ご冥福をお祈りいたします。


 

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