近田春夫の妻は近田まりこ、若い頃の活動、小泉今日子をプロデュース!病気はガン

ラッパー

音楽的にもジャンルが広く、しかも時代的には常に先を行っていた、近田春夫さん。

ミュージシャンだけでなく、プロデューサーとしての手腕も凄腕のようです。

日本のテクノポップの先駆けとなった、近田春夫さんのことを色々調べてみました。


近田春夫の妻は、スタイリストの近田まりこ、離婚している

近田春夫さんは、1974年(昭和49年)に、スタイリストの近田まりこさんと結婚します。

近田まりこさんは、雑誌も『olive』(オリーブ)のスタイリストをしていた人です。

近田まりこさんの作る世界がすてき、とおしゃれな女の子の間では評判のいい人でした。

残念ながら、近田まりこさんのプロフィール的なことは、探してみてもわからないのです。

二人の出会いや、離婚の時期や理由、子どもさんがいるのか。

こういうこともはっきりしたことはわかりません。

二人は、共に忙しく仕事をしていたでしょうし、すれ違いがあったなどは、推測できますが…。

でも、夫婦のことは、他人にはわからないことですし、推測はやめます…。


近田春夫ってどんな人?若い頃の活動

近田春夫さんは、ミュージシャンであり、音楽プロデューサーであり…。

また、コラムニスト、DJ、ラジオパーソナリティをやっています。

特に、プロデューサーとしては腕利きです。

関西のジャズ喫茶に出ていた「ファニーズ」を見て、上京を勧めます。

そして、プロダクションも紹介し、「ザ・タイガース」を世に送り出した人。

また、キーボーディストとして、たくさんのバンドに参加しました。

1970年には、グループサウンズ終盤の、ロックパイロット。

この時は、近田春夫さん、19歳でしたが。

音楽にのめり込むあまり、慶應義塾高校を2年留年しています。

数々のバンドに、サポートキーボーディストとして、参加。

そして、1972年に、「ハルヲフォン」というバンドを結成します。

(後の、「近田春夫とハルヲフォンズ」)

時代的には、ファンクなニューウェイブ系で、後のテクノポップの先駆けのような存在になりました。

話題になったことで、テレビ出演が増えたのを、良しとしなかったのか、

「タレント廃業ミュージシャン専念」宣言

をして、その後、「近田春夫&ビブラトーンズ」を結成します。

とにかく、いつも時代よりはるかに先を行くものを発信していた、近田春夫さん。

私などは、ついて行けなーい、という感想を持ちながらも、何だか聞いていました。


近田春夫、小泉今日子をプロデュース、CM曲も多い

1989年には、小泉今日子さんの、「Fade Out」をプロデュース。

この曲も、当時アイドルだった小泉今日子さんには、ちょっと先走りな曲のように思えましたが。

しかし、オリコンでも2位になり、大ヒット!

やはり、小泉今日子さんの資質を読み取って、作った曲なんだと思うのです。

プロデュースの力が大きい人ですね。

この話に乗った、小泉今日子さんも、そういう感覚が近田春夫さんと似ていたのですね。

他にプロデュースしたのは、風見りつ子・桐島かれん・ザ・ぼんち・

戸川京子・平山みき・ザ・ベンチャーズetc.

また、CMソングの制作も数多く、1000曲以上と言われています。

CMソング制作で、一番数が多いのが、小林亜星、2位がキダタロー、ここに次ぐのが、近田春夫さん。

ロッテや明治、森永などの製菓・ローソン、セブンイレブン・車・ドコモやビール業界etc.

きっと、聞いたことのある曲ばかりでしょう。


近田春夫の年齢・身長・実家・血液型・生い立ち

近田春夫さんの

年齢:1951年(昭和26年)2月25日生まれ 73歳

身長160㎝

実家:東京都世田谷区等々力

血液型:AB型

生い立ち:3歳から、母にピアノを習います。

母親は東京藝大を出ている人。

でも、戦争があったりで、ピアニストの夢を捨てざるを得なくなります。

その夢を、息子で果たしたくて、クラシックピアノを教え込まれるのです。

だんだん反抗期にもなってきて、よその先生に習いに行くように。

クラシックが性に合わないこともあり、辞めたかったのです。

でも、10分練習したら、10円あげる、という母、そして、習いに行った日は外食できる。

それに釣られて、続けたそうです。

物で釣るのは良くないでしょうが、お母さんも必死でしたね。

近田春夫さんは、慶應義塾幼稚舎から、高校まで内部進学します。

慶應義塾幼稚舎の受験の時に、母が知能指数テストを受けに連れて行きます。

そしたら、IQが169もあったそうです!

しかし、受験の時に、他の子と取っ組み合いのケンカをし、親はダメだー、と思いました。

でも、意外と合格します。

かなり、昔からやんちゃだったようですね。

小学校の時には、担任の先生に、「春夫君とやっていく自信がないんです」と言われたんだとか。

頭が普通よりかなり良く、じっとしていられないやんちゃさん。

そういう子どもは、教師側はやりにかったでしょうね。


近田春夫の病気はガン

近田春夫さんは、2008年に、S字結腸のガンを発症します。

しかも、ステージは、4。

これって、かなり深刻ですね。

開腹手術をすぐにしました。

その時には、近田春夫さんは、曲作りよりも、絵を描いて生きていこう、と思ったりしました。

表現をしたい、という気持ちはあったし、絵もなかなかうまい、と自分でも思っていたようです。

ゆっくりしよう、と思ったのでしょうか。

しかし、それからも、アルバムを作ったり。

2013年には、京都精華大学のポピュラーカルチャー学部の教授に就任します。

でも、その後2012年に、再発するのです。

ですが、2017年には寛解したそうで、食事にも気をつけているのか、わかりませんが。

ビールは飲んでいるようです!


 

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