1970年代に、台湾から来た、「アジアの歌姫」、テレサテン。
「つぐない」「空港」「別れの予感」などたくさんのヒット曲で、日本で数々の賞も取りました。
男女問わず、人気だったテレサ・テンは、1995年(平成7年)の42歳の若さで亡くなり、びっくりしたものです。
テレサ・テンの死因は「気管支ぜんそくの発作」で、タイのホテルで亡くなりました。
もう、30年近く経った今でも、実は「生きている」とか「暗殺」などという説もあるようで・・・。
また、42歳でこの世を去ったテレサ・テンさんは、結婚や子供がいるとかはないようですね。
プロフィールも交えながら見ていこうと思います。
テレサ・テンの死亡理由は?
1995年(平成7年)テレサ・テンさんの死亡が伝えられ、亡くなったのは、5月8日です。
42歳の年です。
日本で活躍した後、1989年にはフランスに移住していたのですが。
死亡した場所は、タイ、チェンマイにある、メイビンホテル。
かねてから患っていた、気管支ぜんそくの発作が原因、とのこと。
このメイビンホテルは、テレサ・テンさんが、静養のため度々訪れていたそうです。
いつも、フランス人の恋人の、ステファン・ピュエール(14歳年下)が一緒でした。
やはり、それ以前にも発作が起きて、嘱託医が訪れていたそうです。
その時に、部屋がタバコ臭く、ステファン・ピュエールさんもタバコを吸って待っていたのです。
しかし、テレサ・テンさんも、気管支ぜんそくの持病があるのに、愛煙家だったのです。
医師の問いに、時々吸うが、ヘビーではない、と恋人は答えたそうです。
恋人ならば、テレサ・テンさんが吸うのを、やめて治療に専念しなさい、と言い、自身は外で吸ってほしかったですよね。
精神の安定のために愛煙していたのでしょうか。
病院まで10分ほどの所だったけれど、当時は交通渋滞のため、30分ほどかかってしまい、病院到着時には、息絶えていたのです・・・。
日本でも、大きなニュースとして取り上げられ、私も本当にびっくりしたものです。
テレサ・テンは国葬に
テレサ・テンさんは、台湾では、あまりにも大きい存在だったので、葬儀は、国葬でした!
蒋介石、蒋経国に次いでの国葬とは!
この偉大な台湾の政治家と同じ扱い、なのです。
そして、火葬ではなく、エンバーミングを施されての「土葬」!
*エンバーミングとは、
ご遺体へ外科的な処置を加え、血管を通じて全身に薬品を循環させることでご遺体を長期的かつ安全に保つための処置のことです。「ご遺体の衛生保全」「死体防腐処理」とも呼ばれます。
その処置をすることで、50年ほどは、その生前の姿をとどめたまま保存されるのです。
すごい技術ですね。
ネット上には、その時の姿が載っていますが、こちらでは割愛したいと思います。
テレサ・テンには生きている説もある?
テレサ・テンさんには、実は生きている、という説や、実は暗殺されていた、という説があります。
70年代から80年代にかけて日中国交正常化の動きや、中国の改革開放路線のまっただ中にいたテレサ・テンさん。
歌手活動をしながらも、中国民主化要求デモに参加したり、民主化支援のため、動いていました。
それは、両親が育った中国本土でのコンサートを夢見ていたからです。
でも、天安門事件で、夢は叶わず、失意のもと、フランスに渡ったのですね。
このような時代の波にのまれ、政治的な活動をしていたことで、暗殺説も生まれたのかもしれません。
実はどこかで生きている、というのは希望的観測なのかも知れません。
しかし、タイでは、死去の12年後、実は偽装死だった、と話題になった、とのこと。
没後も色々言われる、ということで、テレサ・テンさんの存在の大きさがうかがわれますね。
テレサ・テンには子供がいる?
テレサ・テンさんには、子供さんはいないようです。
去る1981年に、香港の大実業家の御曹司、ボー・クオック氏と婚約をしました。
その時、結婚の条件に、ボー・クォック氏側から、歌をやめ、芸能界を辞めることを出してきたのです。
1982年にシンガポールで挙式の予定でした。
テレサ・テンさんは、辞めるつもりで、結婚を望んでいた、ようでいて、歌は私の命!と口走ったりで。
かなり葛藤していたのです。
でも、テレサ・テンさんは、やはり歌を捨てきれなかったのですね。
この時、結婚していたら、子供を授かったのかも、ですね。
ほかにも、さまざまな恋をした、とのことですが、子供にはめぐまれなかったようです。
私の記憶には、ジャッキー・チェンですね。
大人気者同士の恋愛。
この時の別れは、人気におぼれて謙虚な気持ちを失っていたジャッキー・チェン。
それで、テレサ・テンさんは離れていったようです。
テレサ・テンのヒット曲「つぐない」「空港」「別れの予感」
「つぐない」
1984年、再来日し、再デビュー。
主に有線放送で、人気が出て、日本有線大賞を受賞した曲。
切ない感が半端ない曲です。
感情移入がすぐできてしまう、泣きたくなる作品。
最初の頃の、さらっと歌っている時期のが好きですね。
全日本有線放送大賞グランプリ、日本演歌大賞ベストヒット賞、日本有線大賞大賞を受賞。
「空港」
1974年の作品。
演歌歌謡の最たる曲ですね。
切な寂しい感を演じているテレサ・テンさんの天才的な感性を感じます。
日本レコード大賞最新人賞を受賞。
「別れの予感」
1987年の作品。
この頃は、少し押さえ気味な歌声に、すべての感情を込めていた気がします。
男女の別れの歌を歌う歌手で、テレサ・テンさん以外でこんな感情移入できる人はいない気がします。
全日本有線放送大賞上半期グランプリ・優秀スター賞、日本有線大賞有線音楽賞(20回、21回)
テレサ・テンの本名・出身地・血液型・経歴・身長・生年月日・墓・両親
テレサ・テンさんの
本名:鄧麗筠(ドン リー ユン)
出身地:中華民国台湾省雲林県褒忠郷田洋村
血液型:O型
経歴:子供の頃より、歌がうまく、天才少女と言われていた。
香港で、「舟木稔」氏(日本の父と呼んでいた)にスカウトされ、1974年、日本でデビュー。
「空港」のヒットで、レコード大賞最新人賞を受賞。
日本での活動ができずにいた時期がある。
1984年、日本で活動を再開。
「つぐない」で有線放送大賞、1985年「愛人」、大ヒット、紅白歌合戦に初出場。
1986年「時の流れに身をまかせ」が200万枚の大ヒット。
身長:165㎝
生年月日:1953年1月29日生まれ~1995年5月8日没 享年42歳
お墓:金宝山
両親:父親・・・鄧枢為、元国民党軍の職業軍人(1990年死去)
母親・・・趙素桂(2004年死去) お母さんは、娘のテレサ・テンさんを先に亡くしてしまったんですね。
兄弟は、兄3人、弟1人。娘はテレサ・テンさん一人だったのです(涙)
アジアで愛され、賞賛された歌姫の生涯は、あまりにも早すぎました。
でも、歌は令和の今でも残り、カラオケでも歌い継がれています。
ありがとう、おつかれさま、と言いたいです!
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