「山口百恵」さんと言うと、歌手を引退して、40数年たちますが、若い人でも知っている、永遠の歌姫。
そんな山口百恵さんも、今年で65歳になりましたが、何やら病気療養している、とネット上にあがっています。
どういう事でしょう・・・?
また、山口百恵さんには、二人の息子さんがいますね。
シンガーソングライター、俳優として活躍しています。
そして、山口百恵さんは、1973年にデビューして、7年後に引退しています。
引退理由には、事務所との確執など、色々あったようですね。
それに、実の父親のこと、壮絶な生い立ちに胸が痛くなります・・・。
山口百恵の現在は?病気なの?
山口百恵さんに、病気?というただならぬワードがあります。
それは、2023年6月の「YAHOO知恵袋」で、
山口百恵さんががんで闘病しているってほんとですか?
と言う問いかけがありました。
それに対して、「事実無根」などの回答もありますが、東京都国立の住民、と名乗る人が、肝臓がんで、ステージ3、だとの回答をしています。
衝撃的な回答ですが、本当なのでしょうか。
この回答から、youtubeでは、まことしやかにその事をアップしているのです。
また、夫の三浦友和さんが、自身の出演した作品の、打ち上げや、飲み会に参加しなくなり、そそくさと帰るのだ、と。
妻の山口百恵さんのことを思っての行動なのだろう、と言っているのです。
また、他にも、山口百恵、というワードと、がん、というワードが一文にタイトルになっている記事があるのです。
記事をちゃんと読まない限り、「山口百恵、がん?」となってしまいます。
私は、三浦友和さんが、飲み会への参加が減ってきているのも、もう年、ということもあるでしょうし、まだまだ感染症が広がっていることへの対策と、思えます。
それに、女性週刊誌には、長男・祐太朗さんのお子さんとの記事が載っていたりしますし、闘病中、というのは、デマなのでしょう。
それにしても、無神経ないい加減な回答をする人がいるもんです。
現在は、長く続けてきたキルトの作家として、活躍していますね。
展覧会を一度見に行ったことがありますが、色使いがとてもきれいでした。
山口百恵の長男は、三浦祐太朗(みうらゆうたろう)
山口百恵さんは、芸能界を引退し、1980年(昭和55年)に結婚しました。
そして、1984年(昭和59年)に、長男の祐太朗さんを出産しています。
やさしい顔立ちが、百恵さんによく似ていますね。
祐太朗さんが誕生しても、山口百恵さんのまわりには、パパラッチがいつもどこでも構えていて、山口百恵さんは、気が気でなかったでしょう。
もう、有名な話ですが、祐太朗さんの入園式の時に、殺到したカメラマンを、山口百恵さんが平手打ち、そして、三浦友和さんがカメラを奪う、という事件がありました。
山口百恵さんにしたら、もう我慢の限界だったのでしょう。
小、中学の時には、サッカーをしていましたが、やはり歌はうまかったようで、合唱部にも所属し、ボーイソプラノで活躍。
その後、成城学園高校、成城大学の法学部へと進んで、水球や、ライフセービングをやっていました。
しかし、音楽活動にも余念がなく、2004年には、親のことを伏せて、「ユウ」として、PEAKY SOLTというバンドでデビュー。
でも、当時のやり手の芸能レポーター(梨元勝)に、二人の息子だということをすっぱ抜かれて、他の事情もあり、音楽活動を休止します。
大学を卒業したあと、どうするのか。
メディアもその動向を嗅ぎつけようとするのですが、なかなかつかめず。
祐太朗さんは、音楽でやっていこう、と決めていたけれど、ずっと誰にも言わずにいました。
そのうち、メディアのほうも、大手の金融会社に就職が決定、などとニュースを流します。
私は当時、このニュースを信じていて、百恵ちゃんの子供だからか、堅実だなー、と思っていました。
その後、数々の舞台などに、ソロとして出演するようになり、2017年、山口百恵さんの現役時代のヒット曲のカバーアルバム「I’m HOME」をリリース。
そして、2020年、声優の牧野由依さんと結婚します。
2022年には女児が誕生しています。
山口百恵さんは、おばあちゃんになったのですね。
山口百恵の次男は、三浦貴大(みうらたかひろ)
1985年(昭和60年)11月10日に、次男の貴大さんが生まれます。
兄、祐太朗さんの影響で、小さな頃から、水泳を続けていました。
成城学園高校から、順天堂大学へ進み、精神保健福祉士を目指していました。
しかし、これは自分には向いてないような気がして、のんびり屋な自分がみずから動いて働きかけないと生きて行けない世界に行こう、と。
そして、俳優をやる、と決め、決定事項として、父の三浦友和さんに報告。
反対はされなかったけれど、やりたいことはやっても、ちゃんと自分で責任を取れ、というのが父の考えでした。
デビュー作に恵まれ、演技力が認められ、新人賞などを受賞。
その後も、NHKの朝ドラや、大河ドラマ、主演映画、などで、実力が認められています。
リポビタンDの「ファイト!一発!」のコマーシャルでよくテレビで見ていましたね。
山口百恵さんの子育て方針は、あまり口出しせずに見守る、という感じでしょうか。
長男は、従順で、甘えん坊、次男は独立心旺盛、などと言われていますが、相談相手はもっぱら父親の三浦友和さんのようです。
そして、山口百恵さんは、自分達が好きでしていることだから、自分達でなんとか頑張りなさい、という姿勢なんですね。
山口百恵さんが歩んできたことが背景になっているのでしょうけれど、なかなか勇気のいることでもありますね。
山口百恵の引退理由は?
山口百恵さんは、1980年10月に武道館で、ファイナルコンサートを開催し、最後の曲「さよならの向こう側」を歌い終えると、ステージの中央に、マイクを置いて静かに立ち去りました。
このアクションは、振付師のアイデアで、伝説にもなり、色んな所で真似もされていますね。
引退理由は、生い立ちが母子家庭で貧困だったこともあり、幸せな結婚をして、家庭を守る、という強い意志もあったでしょう。
そして、所属事務所との、方向性の違い、も言われていますね。
山口百恵さんは、ホリプロから、当時部長だった小田信吾さんと一緒に独立するつもりでいました。
しかし、それは困る、とホリプロ側も、部長を説得し、独立話を阻止されるのです。
山口百恵さんの活躍で、1978年、紅白歌合戦で、紅組のトリを務めた時(19歳のとき)、ホリプロは自社ビルを建てたのです。
もちろん、他にも人気タレントや歌手もたくさんいましたが、山口百恵さんの功績はずいぶん大きいでしょうね。
もし、独立に成功していたら、三浦友和さんとの結婚もなかったかも、と言う人もいます。
その時に山口百恵さんは、弱冠21歳!
しっかりしています!
山口百恵の父親は医者だったの?生い立ちは?
山口百恵さんの父親のことを語るとき、その生い立ちから語ることになります。
山口百恵さんも、妹の淑恵(よしえ)さんも、私生児(結婚していない男女の元に生まれたこども)として、生まれています。
山口百恵さん自身、その事は知らずに育つのですが。
歌手になってから、週刊誌に載った戸籍謄本に、「非摘出子」と書いてあるのを見つけたことで知ることになります。
何とも言えない気分になりますね。
実の父親は、「久保茂」といい、医者で、母の正子さんは、看護師でした。
父親は、既に家庭を持っていたのですが、認知はしていたが、援助はしてくれなかったのです。
無責任‼ですね。
母子家庭だから、貧困で、生活保護を受けていました。
しかし、この実父は、山口百恵さんが成功すると、みずから父だと名乗り、事務所にお金を借りたり、山口百恵さん本人にも無心しています。
しまいには、裁判を起こして、親権を主張する行動に至ります。
山口百恵さんの著書「蒼い時」では、
私には父はいない。
一つの肉体としてあの人が地球上に存在していたとしても、
私はあの人の存在そのものを否定する。
とつづっています。
これが出版されたときには生存していたので、読んでいたかも知れませんが。
山口百恵さんとしては、系農神でいる限り、父が迷惑をかける、と思います。
そうして、それまで稼いだお金を手切れ金として実父に渡して、親子の縁を切るのです。
ここまでしても、縁を切ったことを怒っていたそうで・・・。
しかし、余生は都内の老人ホームで過ごした、とのこと。
引退を決意する決心のひとつにもなったでしょうね。
山口百恵の年齢、出身、血液型、身長、学歴
山口百恵さんの
年齢:1959年(昭和34年)1月17日生まれ 65歳
出身:東京都渋谷区恵比寿生まれ、神奈川県横須賀市出身
血液型:A型
身長:158㎝
学歴:日出女子学園高校卒
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