甲斐よしひろと言えば、あの、甲斐バンドのボーカル!
1974年(昭和49年)に、「バス通り」でデビュー。
1978年(昭和53年)に発売した「HERO(ヒーローになる時、それは今)」がオリコンシングルチャートで1位になり、どんどんと、知名度を上げました。
私は、初めて聞いた「裏切りの街角」に圧倒され、即!ファンに!
セクシーな低音ボイスは、衝撃でした。
来年、2024年には、デビュー50周年を迎える甲斐よしひろさんに、病気の噂が・・・?
また、奥さんや息子さんのことも一緒に調べてみることに。
甲斐よしひろに、病気の噂
甲斐よしひろさんが病気説は、まず、ない、と思われます。
なぜならば・・・。
甲斐よしひろさんは、今年2023年も、4月から6月まで、東京、大阪、横浜で、「ビルボードライブ」、計18公演を開催。
7月にも、渋谷野外音楽堂で、甲斐バンドとしてライブを開催し、会場は溢れんばかりの人の熱気に包まれました。
それに、ラジオの文化放送で「セイ!ヤング21」で、パーソナリティを務めていますね。
これだけ、精力的に活動している甲斐よしひろさんが、病気なのでしょうか。
「病気」のワードが上位に上がっていても、これ、と確認できる情報がみつからないのです。
さすがの甲斐よしひろさんも今年2023年には、70歳を迎えましたし、年齢には勝てない部分もあるでしょうけれど。
時をちょっとさかのぼって見るに。
甲斐よしひろさんは、1974年に、「第3回ハッピー・フォーク・コンテスト」で、「ポップコーンをほおばって」で優勝。
この曲、当時から私は大好き!でした。
ライブで聞くのが最高です!
この時の、松藤英男、大森信和、長岡和弘と甲斐バンドを結成して、1974年、「バス通り」でデビューします。
そして、1978年、「HERO(ヒーローになる時、それは今)」が大ヒットします。
しかし、ベース担当だった長岡和弘さんが、体調不良のため、脱退するのです。
甲斐バンドとして、知名度を上げてきた時だっただけに、残念感は大きかったです!
それでもバンド活動を続けられないくらいの状態だったのでしょうね。
そして、しばらく3人で活動を続けていましたが。
次に、大森信和さんが、長年の活動の積み重ねで、難聴になり、脱退を決意します。
引き留めるメンバーもいましたが、甲斐よしひろさんは、ついに解散を決定。
この、大森信和さんは、その後、甲斐バンドの再結成の時にも参加していました。
でも、2004年に心臓の疾患のため、急逝されます。
この流れは、長年のファンはよく知っています。
初期の2人のメンバーが体調不良で抜けていることが、回り回って、甲斐よしひろさんの体調不良→病気、となったのでは?、と思うのです。
私なりの見解ですが・・・。
甲斐よしひろの前妻は?
甲斐よしひろさんの最初の奥さんは高橋まゆみさんという元女優さんです。
高橋まゆみさんとの熱愛が、当時の「週間明星」にスクープされるのです。
当時、週刊誌で見ましたが、愛らしく、かなり、美しい女性です。
そのスクープで、1976年から、渋谷代官山で同棲していることが発覚。
その後も順調に交際を続けますが、1978年、「HERO(ヒーローになる時、それは今)」が大ヒット。
武道館でのコンサートも大成功。
そこで、いい機会、けじめと思ったのでしょうか、1979年クリスマスの日、プロポーズを!
ちゃんと指輪も用意していました。
そして、1980年(27歳の時)、ハワイ、ホノルルの教会で、仲間内のメンバーたちだけに見守られて、結婚式を挙げました。
でも、この結婚生活は、長くは続かなく・・・。
理由ははっきりしたことは、わかりませんが、けんかが多かった、とか。
甲斐バンドの歌に、「漂流者(アウトロー)」という曲があります。
これは、甲斐よしひろさんが、奥さんと大げんかした夜に出来た、という逸話があります。
勢いで出来た曲なんですね。
見るからに、意志が強く、けんかっ早い、というイメージがありました。
この時の奥さんも含めて、メンバーやまわりの人たちはたいへんだったのでは?
甲斐よしひろの奥さんは?
甲斐よしひろさんの、最初の結婚が1980年でしたが、1982年には、当時女優の竹田かほりさんと再婚。
可愛い、でも妖艶さもある女優さんでしたね。
甲斐よしひろさん29歳、竹田かほりさん23歳の時。
NHK FMのラジオ番組「サウンドストリート」で、甲斐よしひろさんがDJを務めていたときです。
竹田かほりさんがゲスト出演したのが最初の出会いだったそうです。
当時、甲斐よしひろさんは、デレデレだったようで。
甲斐よしひろさんが離婚して後に、再会して、交際が始まったようです。
そして、1982年2月に、ヒルトンホテルで、結婚会見を行ないます。
その時、竹田かほりさんは、妊娠4ヶ月。
妊婦の竹田かほりさんの体をいたわりながらの会見で、質疑応答の前に、気分が悪くなってしまった竹田かほりさんは、退席したり。
そして、甲斐よしひろさんも仕事をセーブして、子どもさん誕生に備えます。
この話には、ちょっと驚きました。イメージが変わったみたい。
松田優作さん主演の「探偵物語」や、「スローなブギにしてくれ」などに出演して、人気のある女優さんでしたが、結婚を機に引退。
今はどんな奥さまになっているのかなー。
甲斐よしひろの年齢、出身、血液型、身長、学歴
甲斐よしひろさんの
本名:甲斐祥弘(かいよしひろ)
年齢:1953年4月7日生まれ 71歳!(見えない!)
出身:福岡県福岡市中央区
血液型:B型
身長:165㎝
学歴:福岡市立福岡商業高等学校卒
この頃から、バンドを組んで音楽をやっていた。
家族:両親、兄3人の5人家族
甲斐よしひろの実家は理髪店
元々、地元では裕福な家で、父親は理髪店をやっていた。
父は、音楽好きで、ラテンバンドをやっていて、甲斐よしひろさんにも影響を与えることに。
ミュージシャンは、育った家庭でもいつも音楽が流れていた、というのはよくある話ですね。
1958年、父親が借金の保証人になっていたために、夜逃げ、という移転をする。
その後、父親は蒸発。生活保護を受けることに。
母親が生活を切り盛りするも、極貧生活に。
10年後、父親が帰って来るが、甲斐よしひろさんは、殴ってしまい、わだかまりができる。
真相は、甲斐よしひろさんの兄弟が小倉に住んでいた父親を迎えに行った、とのこと。
何故かというと、母親はそんな父だけれど、ずっと愛していて悲しんでいることを兄弟は分かっていたから。
末っ子の甲斐よしひろさんの活躍をずっと見守っていたことも、亡くなってから聞かされることに。
甲斐バンドのコンサートにも、こっそり行っていたことも。
そして、「甲斐バンド」というのも、父親がやっていたラテンバンドの名前でもあるのだそう。
家族を放り出した父親を許せなかった甲斐よしひろさんですが、「甲斐バンド」を名乗る、ってことは色んなことを受け入れられたのでしょう。
甲斐よしひろ、若い頃
高校生時代の1970年、「ノーマン・ホイットフィールド」という3人組のバンドで、地元のライブ喫茶「照和」に出演したり、ラジオ番組にも出演。
1972年、地元の名鉄観光サービスに就職するも、挫折。サラリーマンは、甲斐よしひろさんには、似合いませんね。
なじみのライブ喫茶「照和」でウェイターや、歌い手として働く。
「ライブ喫茶照和」と言うと、今も存在しています。
ウィキペディアもあり、海援隊、甲斐バンド、チューリップ、長渕剛などなど、その先に活躍したアーティストを生み出した伝説のライブ喫茶ですね。
そして!1974年、「第3回ハッピー・フォーク・コンテスト」の全国大会で優勝し、甲斐バンドとしてデビューするのです。
余談:甲斐よしひろさんは左利きで、ギターも左手で弾いているのですが、ギターって左利き用のものもあるのです。
でも、甲斐よしひろさんは、右利き用のギターで、今も弾いています。
右利きの人を鏡で見て、の弾き方で、ずっと今まで来た人なのですね。
お兄さんに、左利き用のギターがあるんだよ、と教えてもらったのですが、これでずっと今まできたので、甲斐よしひろなりにできあがっているのでしょう。
ある意味、器用なのですね。
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