近年、アメリカやヨーロッパ、アジアで、日本のシティポップが盛り上がりを見せていますが。
40代で亡くなった、松原みきが今、再認識されています。
松原みきの結婚相手は誰でしょう?
子供はいるのでしょうか?
松原みきの亡くなった原因は、いったい何だったのでしょう。
そして、大ヒット曲「真夜中のドア~Stay With Me~」についても考察してみました。
松原みきの結婚相手、夫は本城真樹、子供は?
松原みきさんの夫は、彼女のバックバンドのドラマー、本城真樹(ほんじょうまき)さん。
松原みきさんは、一緒にステージやテレビなどで仕事をしていくうちに、親しくなり、結婚されます。
夫の本城真樹さんは、慶應義塾大学経済学部を卒業しています。
在学中には、ジャズドラマーとして活動していました。
その後、東京医科歯科大学に入り、歯科医師になります。
それでも、生活のために、ブレッド&バターや、弘田三枝子のバックドラマーとして生計を立てていました。
32歳で、歯科医院を開業。
わりと、裕福な家庭に育った方なんだろうなー、と感じますね。
37歳の時、松原みきさんと結婚。
その後、51歳の時に、妻の松原みきさんを亡くし、本城真樹さんも、2017年に亡くなりました。
松原みきさんも44歳という若さで亡くなりましたが、夫の本城真樹さんも64歳で夭折。
早いですね。
本城真樹さんの死因は明らかではありませんが、まだまだこれから、という年齢でしたよね。
この時の、歯科医院は、血縁のない方に引き継がれています。(千葉県・大野歯科クリニック)
お子さんがいるという情報もありませんので、子どもは、もうけていないのでは。
頭脳明晰な父と、音楽の才能が人一倍ある母、と思うと、もったいない!と思ってしまいます。
松原みきが亡くなった原因は?
松原みきさんは、2001年に、子宮頸がんであることを宣告されます。
発見当時は、既にステージ4で、いわゆる末期がんだったのですね。
松原みきさんは、歌手として、作曲家としての音楽活動を休止して、治療に入ります。
松原みきさんは、病院での治療に加え、霊能者を介して、気功による治療などにも挑戦するのです。
その気功の治療院には、1年ほど、通っていたそうです。
そして、いっときは、がんが、良性の腫瘍に変化して、胸をなでおろした時期もあったようです。
ですが、結局は、この病魔に負けてしまい、2004年10月17日に亡くなってしまいます。
おおやけに、発表されたのは、同年の12月14日で、2ヶ月後のことですね。
病魔に気持ちが負けてしまいそうな時もあったのでしょう。
しかし、自ら、治療のためなら、と、医者頼みにしなかった。
積極的にさまざまな方法を探す意欲には、敬服します。
松原みきの晩年は?
松原みきさんは、がんの宣告を受けて、治療に専念していました。
そして、精力的に作曲などの活動をされていたようですね。
1990年以降は、歌手活動をお休みして、作曲を色々と手掛けていましたが。
テレビアニメ「おジャ魔女ドレミ」シリーズの挿入歌をたくさん作ってていた、とのこと。
また、ガンダムシリーズの「機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY」のオープニングテーマ。
「MEN OF DESTINY」、「機動戦士ガンダム0083 ジオンの残光」の主題歌「True Shining」。
アニメ「ご近所物語」のオープニングの「ヒ・ロ・イ・ン」、エンディングの「DON’T YOU KNOW」、「素直になって」。
挿入歌もたくさん作っていました。
また、特撮ドラマ「ウルトラマンガイア」の主題歌も担当されています。
さきほど紹介した、気功師の方が、松原みきさんのことを、とても美人で、元気な人だったと、言われていたようです。
晩年も、治療はしつつ、作曲活動にも専念されていた。松原みきさん。
こんなパワフルな人が病魔におかされるなんて、と本当に残念でなりません。
松原みきの大ヒット曲「真夜中のドア」
「真夜中のドア~Stay With Me」。
この曲は、80年代ポップの代表とも言えるゆったりとしたグルーブ感があります。
心地のよいリズム感で夜の都会を思わせるお洒落な雰囲気を醸し出しています。
一度聴いたら忘れられない、又聞きたいと思えるような曲です。
41年後に、インドネシアの女性シンガー、ユーチューバーのRainych(レイニッチ)が、カバー曲を発表します。
そして、リバイバルヒットとなりました。
この、Rainych(レイニッチ)という人は、世界を驚かす、カバーモンスター、と言われている人。
きれいな発音、美しい歌声で、編曲もずいぶん変わっていますが、楽曲の良さがわかります。
サビの所を聞くと、何か懐かしさを感じますね。
レイニッチが「真夜中のドア~Stay With Me」をカバーする前から。
この曲は日本のシティポップに目をつけていた海外のDJなどが注目していた、と言われていました。
当時の日本では、それまでの歌謡曲、演歌などから、欧米に憧れる傾向が音楽界にもありました。
洋楽的な楽曲に、英語のフレーズが加わって・・・。
何だか、都会的な、夜のおしゃれな街を想像するような楽曲が流行ってきていた頃。
洋楽風な所、英語まじりの歌詞、が欧米の人たちの心に、懐かしいような感じがあったのではないでしょうか。
松原みきさんが歌い出すと、そのイメージとは違う、大人びた歌声も私たちの感じ入る魅力です。
松原みきの生年月日、命日、本名、家族は?
松原みき : 1959(昭和34年)年11月28日~2004年10月7日
ご命日は、10月7日です。享年44歳。
大阪府岸和田市で出生。出身地は、大阪府堺市。
本名は明確ではありません。
テレビアニメ、「Gu-Guガンモ」のオープニング、エンディングテーマ曲では、「スージー・松原」の名義で参加していますが。
血液型は、O型。
兄弟がいたのか、も不明です。
しかし、母がジャズシンガーで、クレイジーキャッツと共演したこともあるといいます。
幼い頃からジャズに親しんでいたのですね。
プール学院中学校から、同高校へ。
高3の時には、歌手デビューのために、東京へ行き、文化女子大学附属杉並高等学校に転校。
米軍キャンプ、などで、演奏、歌唱し、世良譲に、絶賛されます。
上京後、1979年に 初シングル「真夜中のドア~Stay With Me」をリリース。
大ヒットし、同年には、多くの新人賞を受賞。
その後、17枚のシングル盤、15枚のアルバムを発表。
音楽の才能は、遺伝の力は大きい、と言われています。
松原みきさんの才能は、きっと、お母さん譲りなのでしょうね。
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