庄野真代さんは、デビューから2年後の1978年(昭和53年)に「飛んでイスタンブール」が大ヒット!
都会的で大人なオシャレなイメージの、今までにない女性歌手の登場でした。
やさしい歌声ながらも、リズミカルでパワーを感じる庄野真代さんは、いつもかっこよかったです!
庄野真代さんは、今でもはつらつとして素敵な女性です。
旦那さんや、子どもさん、もしやお孫さんもいるかな、と調査してみました。
庄野真代さんのプロフィールも交えて振り返ります。
庄野真代の結婚はいつ?相手、小泉正美とのなれそめは
庄野真代さんは、「飛んでイスタンブール」がヒットする前の年の1977年(昭和52年)に結婚します。
お相手は、作曲・編曲家の、小泉まさみさんです。
多摩美大、グラフィックデザイン科を卒業しています。
そして、庄野真代さんより、6歳年上で、当時の人気歌手の曲の作曲をたくさん手掛けています。
中森明菜、柏原芳恵、サーカス、アグネスチャン、あいざき進也、浜田朱里、など。
そして、庄野真代さんの曲も、作曲・編曲しています。
(「逃亡者」「そして・蜃気楼」「スロウ・ボートでチャイナへ」「お・ん・な 無限大」)
庄野真代さんと、小泉まさみさんとのなれそめを探してみるも、まったくみつけられません。
庄野真代さんは、大学受験で不合格後、浪人中に、『ヤマハボーカルオーディション』に合格しています。
そして、合歓(ねむ)音楽院(後のヤマハ音楽院)で研修を受けています。
一方の、小泉まさみさんは、ヤマハのポピュラーコンテストで入賞して、ヤマハの専属になっています。
なので、ヤマハつながりでの出会いがあったのでは、と考えられるのですが。
庄野真代と小泉まさみ、世界一周の旅、そして離婚
庄野真代さんは、1980年に、休業宣言をします。
そうして、28カ国132都市を回って、世界一周の旅に出るのです。
デビュー前から、世界に出てみたい、という思いはあったみたいです。
この時、旦那さんの、小泉まさみさんと一緒にです。
日本に戻ったら、忘れられてるかも、という危機感よりも旅に出たかったのですね。
そもそもは、友人が、80日間世界一周のクーポン(30万円)を紹介してくれたこと。
でも、その期間だと短い、と感じ、実際は、2人で250万円、バックパックでの軽装旅だったのです。
ギリギリの貧乏旅行!
ロスで、中古の車を買い、宿に泊まらずに、そこで寝泊まりしたり。
メイド・ハウスシッター・路上パフォーマンスなどをやりつつ、居候したりもします。
怖さもありながらのヒットハイクをしたり、野宿したことも。
そして、
言葉も通じないけど同じことで笑ったり、泣いたりするうち、どこで生まれても、育ってもみんな同じ人間なんだって思うようになったんです。私も同じ地球のメンバーなんだと。
語っています。
たくましいですね!
私だったら、常にビクビクで、楽しむことが出来ないでしょう。
そして、1982年3月に帰国します。
でも!1988年(33歳の時)、二人は離婚するのです。
あんなスケールの大きい旅を一緒にして、絆も深まったでしょうに…。
いったい、どんな理由で、と探すも、これも明らかではないのです。
この時点で、子どもさん二人がいたのですが…。
夫婦間のことはわからないものです。
庄野真代、子どもは娘が二人、孫もいる?
庄野真代さんには、二人の娘さんがいます。
庄野真代さんは、長女を、世界旅行中に、次女は、帰国後に出産しています。
長女は、momokoさんと言い、歌手をしていて、庄野真代さんと一緒のステージに上がることもあるそうです。
母親の庄野真代さんと、声の質が似ていて、ハスキーボイスなのだそうです。
わぁ!、聞いてみたいです。
きれいな娘さんですね!
年齢は、2024年現在では、長女が41歳、次女は40歳。
次女は、2021年前後に結婚している、とのことです。
また、長女のmomokoさんは、結婚して小学1年の娘さんがいます。
しかし、2021年、離婚した、とのことです。
それで、momokoさんが実家に戻ってきたのですが。
これをいい機会に、庄野真代さんは、そこを出て、一人暮らしを始めます。
そう、もう大人だし、距離を置く方が、お互いのためにいいでしょうね。
庄野真代、病気は悪性リンパ腫、事故にあったことも!
庄野真代さんは、40歳代に、事故にあい、顔面陥没骨折という状態になったことがあります。
相当、ひどい事故だったのでしょう。
また、子宮筋腫にもなって、どちらも大きな手術をしました。
この時には、人間の命なんて、年齢に関係なく、いつ、どうなるかわからないものだ、と痛感。
なので、まだ実現できてない夢を書き出したのです。
50個も‼
そんなに夢があるって、ある意味すごいことです。
そうして、ひとつひとつ、叶えられていない夢を叶えていきました。
大学で環境問題を学ぶ、イギリス留学、チアーリーディング・・・。
仕事もあり、忙しいのだから、庄野真代さんにとって、無駄な時間なんてないのでしょう。
又、デビュー45周年を過ぎた2022年に庄野真代さんは、悪性リンパ腫を患っていることを公表します。
半年くらいの抗がん剤治療をしました。
庄野真代さんは、生活態度が悪かったんだなー、と自身の体と向き合います。
落ち込んだ時期もあったかもしれませんが、前向きに取り組む庄野真代さんの生き方は、お手本にしたいです!
庄野真代、「子ども食堂 しもきたキッチン」を主催
庄野真代さんは、2018年から世田谷で「子ども食堂 しもきたキッチン」を主催しています。
『子ども食堂』というのは、子ども一人でも行ける、無料か低額の食堂です。
世田谷の北沢地区には、子ども食堂が6カ所あり、しもきたキッチンでは、お弁当を用意することもあります。
そして、NPOの形は取ってはいないけれど、被災地支援や障害者支援も続けているのです。
また、大人になってから、必要にかられて入った法政大学、イギリス留学、早稲田大学大学院での勉学が終わって。
それまでからやっていた、音楽を通じてのボランティア活動を、NPO法人化するのです。
『国境なき楽団』と名付けられ、フィリピン、マレーシア、トルコなどで活動をしています。
ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーへも、精力的に出向いているのです。
今は、「国境なき楽団PLUS」代表、の庄野真代さんです。
この活動を起こす動機になったのは、きっと!
若い頃に旦那さんと様々な国へ行った時に感じていたことへの答えになっているのでしょうね。
庄野真代の、本名・年齢・出身・学歴・身長・血液型
庄野真代さんの
本名:庄野 眞代(しょうの まよ)
年齢:1954年(昭和29年)12月23日生まれ 69歳
出身:大阪府大阪市西淀川区
学歴:大阪府立東淀川高校卒業
2000年(45歳)に、法政大学人間環境学部に入学、イギリスへ留学(ウエストミンスター大学)。
2004年、法政大を卒業した年に、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科国際関係研究科に入学。
2006年に卒業。
身長:162㎝
血液型:B型
庄野真代の名曲、代表曲
庄野真代さんの代表曲と言えば、まずは、デビューの2年後(1978年)に大ヒットした「飛んでイスタンブール」。
元々は、作曲家の筒美京平さんが、野口五郎さんに作った曲だったのですって!
これは知らなかった事実です。
後に、庄野真代さんに決まり、海外旅行ブームの時代背景もあって、エキゾチックな曲風になります。
何と言っても、イントロ部分が、今聞いてもゾクゾクするのです‼
期待感が半端ないのですよ。
そして、
「モンテカルロで乾杯」。
この曲も気分がノリノリになってしまう魔力があります。
モンテカルロってどこ?、と調べたものです。
「マスカレード」、「ジャングルコング」も日本じゃないどこかを連想させてくれました。
そして、「アデュー」!
この曲は、庄野真代さんの作詞・作曲です。
この曲は本当に秀逸!
カラオケで、庄野真代特集をしたくなります。
「Hey Lady 優しくなれるかい」
この曲は、ポーラ化粧品のCMソングに使われていました。
庄野真代さん、作詞・作曲です。
やはり、パワフルな生き方をしてきた、庄野真代さんなので、楽曲にも独特なパワーを感じます。
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