アンジェラ・アキ、結婚相手と現在は?離婚歴がある?本名、血液型、代表曲は「手紙」

女性シンガー

アンジェラ・アキ、と聞くと、メガネをかけた聡明そうな美人歌手。

そして、ピアノを弾き語りで歌うスタイルを思い浮かべます。

10年ほど前に、アメリカに、音楽留学をする、ということで、それまでの音楽活動を休止していましたね。

引退したのか、との声もありましたが、2023年11月に、再び日本での活動を再開する、と発表しました!

アンジェラ・アキさんの現在の様子、結婚相手のこと、など知りたいですね。

また、離婚歴があったとか・・・。

本名や、年齢などのプロフィール情報も合わせて見てみました。

「手紙~拝啓十五の君へ~」の逸話も見つけました。


アンジェラ・アキの結婚相手は、Taro Hamano

アンジェラ・アキさんの今の夫は、Taro Hamano(浜野 太郎)さんです。

2007年3月に結婚しています。

浜野太郎さんは、エピックレコードジャパン(ソニーのレーベル)の音楽ディレクター。

当時、アンジェラ・アキさんがデビューする前から担当していたことから交際へと発展したのですね。

そして、この浜野太郎さんは、アンジェラ・アキさんが音楽留学をするときに、背中を押してくれた人。

ソニーを退職し、アメリカに移住しよう、と言ってくれたのです。

彼は世界一の味方であり、生きていく勇気をくれる存在です。

私が今まで経験してきた事や、そこから生まれてくる音楽を誰よりも理解して、サポートしてくれた人です。

アンジェラ・アキさんは、浜野太郎さんのことを、こう語っています。

浜野太郎さんは、常にアンジェラ・アキさんに寄り添ってくれていたのですね。

幸せな結婚だったのですね!

お二人の間には、2012年に男の子が誕生しています。

アンジェラ・アキさんのsnsには、時々お子さんとのひとときが登場しますが、名前や顔は伏せています。


アンジェラ・アキ、現在はどうしてる?引退してる?

アンジェラ・アキさんは、現在47歳。

引退はしていません!

東宝ミュージカルの、『この世界の片隅に』の音楽制作に参加することになり、制作に取り組んでいる最中のようです。

そもそも、シンガーソングライターとして、人気もあり、需要も多かった時期に、音楽留学を志したのですね。

そのわけは、アンジェラ・アキさんは、ミュージカル音楽家になるのが夢、目標だったのです。

そのために、作曲を一から学び直すために、渡米したのです。

留学先は、南カリフォルニア大学音楽学校。

そして、2年の留学から、2016年に帰国。

それからも、東京ディズニーシーのミュージカルショーでの、楽曲を作詞したり、鈴木雅之さんのアルバムに、曲を提供したりしていました。

『この世界の片隅に』では、「この世界のあちこちに」という楽曲を、アンジェラ・アキさんみずから歌い、2024年2月7日には、リリースされます。

アンジェラ・アキさん曰く、シンガーソングライターの視点は、個人的な視点。

しかし、ミュージカルにおいての視点は、その話のキャラクターが視点になる、と。

それをまずは、「音」で考える、そして、日本語にこだわりながら、ミュージカル音楽に一生たずさわっていきたい、と。

明確な目標があって、それにまっすぐに向かっていったアンジェラ・アキさんの勇気と熱量!

拍手を送りたいですね。


アンジェラ・アキは、離婚歴があったの?

アンジェラ・アキさんは、浜野太郎さんと結婚したことを報告したとき、再婚である、とも告白していました。

ジョージワシントン大学(政治経済学科)を卒業したあと、当時の恋人と結婚したようです。

しかし、結婚生活はうまくはいかなくて、お互いの気持ちがどんどんすれ違っていき、続けていくことができなくなるのです。

1年くらいで離婚。

記憶ごと封印してしまいたいくらい、本当に苦しい時期でした

と、自身のブログに書いていました。

本当に辛かったのですね。

でも、元旦那さんとの間には、子供さんはいなかったようです。


アンジェラ・アキの本名・血液型・出身地・年齢・身長・父親

アンジェラ・アキさんの

本名:安藝 聖世美 アンジェラ (キヨミ アンジェラ アキ)

血液型:A型

出身地:徳島県板野郡板野町

年齢:1977年(昭和52年)9月15日生まれ 47歳

身長:166㎝

父親:イーオン(英会話スクール)の代表取締役、イタリア系のアメリカ人

アンジェラ・アキさんは、日本人の母親と、イタリア系のアメリカ人の父親のハーフなんですね。

経歴:15歳まで、徳島、岡山で生活し、それから家族でハワイへ移住。

大学は、ワシントンD.Cのジョージワシントン大学へ進み、ワシントンで就職。

昼間は秘書、夜はバーなどで歌っていました。

その後、勤めを辞め、アルバイトなどをしながら独学で音楽を学び、デモテープを作って色々な所に送っていました。

2003年、ヤクルトのCMに使われ、帰国。

すぐには芽が出ないものの、椎名林檎の武道館でのステージを見て、自分も3年内に、ここに立つ!と決心して、活動を続ける。

そして、実際3年後(2006年)、武道館で単独ライブを行なう。

2005年、メジャーデビュー(「HOME」)し、売れ行きも好調、その後、「手紙~拝啓十五の君へ」がロングヒット!

夢を持って突き進むものの、なかなか思うように行かないとき、どこかでやめる、頑張る、を天秤にかけると思います。

アンジェラ・アキさんも、挫折感を味わうことも多々あったでしょうけれど、チャンスをその手でつかんだんですね‼


アンジェラ・アキの代表曲「手紙~拝啓十五の君へ~」は自分に宛てた?

アンジェラ・アキさんの代表曲「手紙~拝啓十五の君へ~」は、文字通り、未来の自分自身に宛てた手紙だったのですね。

そして、書いたのも、文字通りアンジェラ・アキさんが15歳の時、と2009年には言われていましたが、その後、自身が17歳の時に書いた、と言っています。

15歳の頃、アンジェラ・アキさんは、反抗期の時期でもあり、当時、ハーフ、と言われることに飽き飽きしていたり。

自分の居場所がどこにもない、という虚無感がピークになっていて、大好きな母にも反抗的だったのだとか。

でも、ピアノが上手、と言われることで、自分が自分でいられる心強いものを見つけられた、と感じたそうです。

ハワイに移住したときも、ハーフの顔しているのに、英語がほとんどしゃべれない、というピンチな時も、ピアノを弾けることで自分でいられたそうなのです。

そんな15歳の頃のモヤモヤした気持ちを誰にも言えず、未来の、30歳の自分に相談するつもりで書いたんだそうです。

そして、そんなことをすっかり忘れていたとき、20081年のNHK合唱コンクール、中学の部の課題曲への依頼がありました。

それがちょうど30歳の時。

そんなとき、お母さんが、17歳の時に書いた「手紙」を送ってくれました。

15歳の自分に、どんな言葉をかけてあげられるだろう、と考えていて、「手紙~拝啓十五の君へ~」が生まれたのだそう。

お母さんは、アンジェラ・アキさんが書いた手紙を持っていてくれたのですね!

何という偶然、そしてお母さんの愛、でしょう。

この歌は、1番が、今の自分への手紙、そして、2番が10代の自分への返事なのです。

そして、時を経ても、同じ自分なら、同じ目線に立てる、と言うことに気づいた、と言います。

なるほど、そうなのかも知れませんね。


 

 

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